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瞑想の扉 自己メンテナンス

自由になる為の手放し:B33の感想

B33が終わりました。4本ボトルの4番目のボトルです。
本当に簡単に感想を。。あまり書く事がない、というか、今回は「考える」という事がほとんどなかった気がします。

塗り始めて最初に出て来たのは、
「私が本当にやりたい事は何か」ということ。
今まで何度も繰り返し考えて来た事ですが、ボトルを塗ってこれが出てくる事は。。あまりなかったかな。
でも、それについて熟考する事がなかったのです。流れに任せていれば、そのうち解るだろう、という感じで。前回塗っていたB75の影響かもしれません。

同時に、今の私に必要ないものを手放していく作業がありました。
B33を塗って「浄化」のキーワードが出てくるとは思いませんで。。意外だったのですが、
「自由を手に入れる為の浄化、手放し」なのだな、と感じます。

執着だと感じていなかったものに対しても「手放せ」という合図が来たり。。
そうか、もうこれも要らないのか、これからの私には。。。
という感じで、今まで習慣にしていたものをやめていった、という感じです。

正直に言うとね、もう「スピリチュアルなワーク」も私には必要がない、と感じます。
私は生まれつきスピリチュアルな性質なので、天使やハイヤーと関わるのをやめるというわけではないです。
巷に溢れている、古い慣習や既成概念に縛られたワークにはもう関わらない、という感じかな。

私がスピリチュアルの世界に足を突っ込んだきっかけは、鬱を治し自分を癒す為でした。
鬱が完治した後は、その延長線で、自分が学んだ事を還元していたのだけど、それもまた区切りがついたような感じですね。

スピ的なセラピーの現場って「クライアントもヒーラーも、お互いが癒される場」という部分があります。
言い換えると、「ヒーラーの未熟な部分と同じ悩みを抱えたクライアントがやってくる」という事で、ヒーラーは自分と同じ悩みを抱えているクライアントを癒す事で、ヒーラー自身も同時に自分のカルマを解消している、という事なんです。
という事は、クライアント側も、自分と似た悩みを持ったヒーラーやセラピストを直感で選んで、セッションを受けに行っている、という事になりますね。

心理療法には実際にこういう療法があるので、「良い・悪い」ではないのですが。。私はそこから「卒業」しようと決めたようです。無意識レベルで。
同時に、今までセッションやワークショップに参加した中で受けた、辛かった事、傷ついた出来事を浄化して手放す、という作業が、無意識レベルで起こっていました。

普通は癒されるはずのセッションやワークショップで、私は癒されるよりも傷つく事が多かったんです。
生来の感受性の為か、人と関わりながらワークすると、自分に必要がないものまで取り込んでしまって、ぐったり疲れます。これはもう、体質だから仕方がないんです。
正直な所、独りになれる場所で静かに内省している方が、よほど癒されるんですよ。
凄いヤな奴だよね。←
こういう所も、人から理解されにくい部分なのかな、と思いますが。

眠ると、よく夢を見ていました。およそ結婚してから今までの間に関わってきた人たちが沢山出てきて、当時の再現をしているような夢。
そして目覚める間際に、こんな声が聞こえるのです。
「忘れてしまっていいのよ。忘れてしまいなさい」
私の72天使が、この浄化を手伝ってくれていたようです。

今思えば、「遊び心」を受け入れる為のスペースを作っていたのかな、と思います。
B33は得意そうだよね、遊び心を取り入れる事。

やってみたい、と思う事がある。
それは人の為というより、自分を愛する為かもしれない。
でも、もう大層な事をしたいとは思わない。
大層な事が出来なくてもいい。自分らしく居たい。自分を楽しみたい。

だから、B49ではなくB33を選んだのかな、と。
私の性質と照らし合わせてみて、それは正解だったのだろう、と。

以前、ハイヤーセルフに言われた、「これからあなたが進む道は思考の世界ではない。じっと座っていては燃え尽きてしまいますよ」という言葉の意味を、どんどん実感するようになってきました。

書けないんですよ。(笑)
というか、いつも事あるごとに、その時感じた事、心に浮かんだ事を書きとめていたのですが、このボトルを塗っている間はそんな暇がなかった。というか、心の余裕がなかった。

「書く」ことで整理が出来ないんです。
動かないと、どうにもならない。
以前は書く事で解放されていたのに、今はとにかく行動して目の前の作業をこなす事、それをやらないとハートが塞がって鬱になるような、そんな感じです。

だから、ブログも書かなきゃ~と思うほど書けなかったですね。
書く事以外にもやる事があって、いや、「やりたい事」があって、でもそちらを優先するのは「逃げ」じゃないのかな、と思っていた。だって直接「お仕事」とは関係ないし、きっと周囲からも書く事の方を望まれているだろう。。という、「思い込み」ですね。

でも、他人からはどうでもいい事、お遊びにしか見えない事でも、「やりたい事」を優先してやっていく事で、停滞していたものがようやく流れ出したんです。

今はとにかく、「作りたい」のです。

そんな事で誰かの役に立てるのか、なにかのきっかけになれるのか、とためらっていましたが。。。意外と、プラスの影響を与えられるのかもしれないな、と、ボトルが終わってから感じています。

先日、趣味で書いていたブログの更新お知らせを、Facebookページにリンクしましたが。。。これもその流れでリンクする羽目になったんですね。(笑)
ひょっとしたら、フォロワーや「いいね!」が減るかもしれないな、と思いつつ、それでも淘汰される必要があるならそれでいいのだと思って。

方法は一つじゃない。
あからさまな方法でなくても、直接的でなくても、自分だけの「青写真」を果たす事は出来る。

リンクを設定すると決めた時、私の中の男性性が、すごく嬉しそうだったのです。
「女性性に認めてもらえた」と言って。
今まで、楽しむ事を制限していたのかもしれないな。女性性の「峻厳」が強く出過ぎていて、実は男性性を抑圧していたんだな。。と思って。

「外側から取り入れたもの」を、どんどん手放していった結果でもあると思います。

外から取り入れたものは鎧。
自分を守るものでもあり、
重くのしかかり動きを鈍らせるものでもある。

とめどなく流れる事を好むエネルギーは、守るために着こんだ鎧に阻まれて、外に出る事が出来ない。
外に出たいと願

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