カテゴリー
瞑想の扉 自己メンテナンス

「吟遊詩人」って多分こういう事。

私の、これまでの「吟遊詩人」のイメージは、厳しい環境の中で強い意志を持って、「真実」のメッセージを音楽に乗せて、人々に伝え歩く。そんな感じだった。

「何があっても伝えなきゃ」って感じだよね。
なんかね、迫害される人生、っていうイメージ強かったみたいなんだよね。
吟遊詩人がいたお国柄や時代背景なんかももちろんありますが、
確かに、今までの生活を覆されるような事を聞かされたら、それに慣れちゃって変えたくない理由がある人は拒否したくなるだろうから、実際にそういう迫害された人は居たんだろうなぁ。。とは思いますが。

私が出会った、最初の「吟遊詩人」の印象がそれだったので、ずっと辛いお仕事なイメージだったのよね。

正直、昔の「吟遊詩人」の話を聞いても、特に感銘は受けなかった。
やりたいとも思わなかったし、実際やれと言われたら「うぅん」とためらうレベル。

でも、今日はふと、
音楽だけじゃなくて、言葉で伝えるだけではなくて、
自分が得意とするものの中に、「高次から受け取ったエネルギー」を込めて表現することが、そのまんま「吟遊詩人」のお仕事なんじゃないか。
と、思ったんだよね。

メッセージを芸術に昇華するんだな。と、何となく、思ったんだ。
それを見た人が、どんな風にそのメッセージを受け取るのかは、その人の感性次第なのかもしれない。

何が今までの印象と違うかっていうと、「気負わなくていいんだ」、って思ったんですよ。

でも、一つの作品に心を込めて、純粋なエネルギーを表現できたら、きっと伝えたい事は伝わるんだろう、って。

絵もそうだし、ダンスもそうだし。言葉を使う芸術なら、伝えたい事は沢山伝わるかもしれないけど、実は言葉では伝えきれないものの方が多い。言葉は「概念」に偏りがちになっちゃうから、系統立てて理論的に長々と「真実」を語っても、本当に伝えて行きたい「本質」の部分が、実は伝わっていない、て事がよくある。

言葉で説明するより、実際にやって見せた方が伝わる情報量が多いよね。そういう事だと思う。

どんな形だっていいんだ、きっと。普段の仕事の中で、何気ない生活の営みの中で。。一般的に芸術なんて呼ばれないものであっても、高次の光から降りてくる「メッセージ」を込めて行えば、それは立派な芸術に昇華するんだろう。

それこそが、光の「本質」を確実に伝える最善の手段であり、今その人に必要な気付きを、必要なタイミングで与えてくれるんじゃなかろうか。

そういうのがきっと、「今の時代」に生きる「吟遊詩人」の在り方なのかもね。

って、今日のインストラクター講座の後片付けをしながら、ふと思ったのでありますよ。(笑)

数年前は「魔女狩り」の類のトラウマがあって、こんな考え方をする以前にセラピスト関係のお仕事自体恐くて出来ないと思っていたのに、随分解放されたんだ私。と、これ書いて思ったりした。(笑)

言葉にすると理屈っぽくなっていかんね。もっと柔らかいイメージなんだけどなぁ。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 潜在意識へ
にほんブログ村

*ホームページはこちらから*

IRISCALA

虹の女神と天使のアトリエ「イリスカーラ」

Online Shop

オンラインショップ

お問い合わせ

お問い合わせはこちらからどうぞ(PC・スマホ用)

☆ケータイの方はこちらから☆

JUGEMテーマ:スピリチュアル/アセンション

 

コメントを残す