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瞑想の扉 自己メンテナンス

契約とカルマと過去のトラウマ

昨日、10年以上前に起きた大きな事件の判決が出たというのを聞いて、
少しだけ、思う所を書いてみる。

念のために言っておくと、私の視点は三次元レベルではない。
今生だけでなく、過去生、未来生を踏まえて書く事になるので、その辺、頭の隅に置いといて下さい。

こういう、強姦致死の類の事件を、新聞記事のタイトルで見るだけで、以前の私は酷く胸に堪えていた。今だって全く堪えないとは言えないけれど。
大抵の人は、犯人に対して怒りを覚えるとか、被害者に対して可哀想だと思うとか、そういう感情を抱くのだろうけど、
私は、この事件の事や、犯人に対してどう思う、というよりも、
自分がその被害者と同じ経験をしたかのような、そんな衝撃を受けていたんですね。

私自身が、過去生で似たような経験をしていて、その傷がまだ癒えていないからそう感じるのだと、今なら分かるのですが。

だから、そういう類の事件の詳細は、以前は全く聞けなかったですね。
自分の事を重ね合わせて、追体験してしまうから。

人の死にざまを見て、残された人の生きざまを見て、私がどうこう言える立場ではないのだけれど、
こういう事件を起こすというのも、見えない所で交わされた「契約」なのだろうな、と思った。

愛に飢えている者が、とにかく貪欲に愛を欲しがる。それに愛を与えようとする者がいる。
そういう図式があったとして、
時に愛を求める者が、愛の受け取り方に関しては全くもって未熟なのだとしたら、
手を差し伸べる者としては、こういう、「奪われる」方法でしか、愛を与える事が出来ないのかもしれない、と、私は自分の過去生の経験から思う。

愛に飢えた者は、強引な方法でその愛を無条件に与えてもらい、
その罪に問われてからも、愛と命を奪われた被害者の夫から、「どうしたら更生できるのか」と10年以上も苦慮され続けた。

もう充分すぎるくらい、この人は愛されましたね。
私はそう思う。

元々、犯人と被害者の間で、魂同士の強い絆と信頼がなければ、こんな事件は起こらない、と私は思いますが。

でも、こんな風に愛を与えるのは、もう終わりにしてほしい、と、私は思う。
自分自身にも、周りの人にも、大きな傷を負わせる事になるから。

「こういう事件が起こった時点で「負け」なのだ」と、被害者の夫が言っていた。
そうだね。こういう方法で愛を与えようと決めた時点で、既に傷つく事は確定しているのだから、「負け」と感じるのも仕方がない。もっと他に方法がなかったのか、と、はるか後になってから思うのかもしれない。

これも私の経験から言うのであって、決してその人がそうなるだろう、という話ではないのですが、
亡くなった被害者には、自分が受けた傷を癒す、次の転生が待っているだろうし、もうすでにそういうサイクルに入っているのかもしれない。
それはもしかしたら、長く辛い「旅」になるのかもしれないけれど。

今生、愛を与えられた犯人には、次の生から、肉の命と魂を捧げて愛を与えてくれた人たちに対する、長い長い「奉仕」の旅が待っているのかもしれないな。と、思った。

そういうのがきっと、「カルマ」なのだろうと。

そんな風に、後の生になってから、私のトラウマ解消を手伝い、私を守護し支えてくれている輩が、うちには居るので、そう思うんですけどね。(笑)

一つの出来事に対して、人それぞれ、いろんな意見があるだろうけど、
私個人の意見としては、こんな風に感じた、という事で。

今日は「契約」や「カルマ」のしくみについて書きたかったわけではないですが、何となく、そういう話に近くなったかな。
なるべくなら、自分を傷つけるような「契約」が現実化する前に、自分の無意識層で交わされている「契約」を見つけ出して、破棄するのが一番だと思いますけどね。

意外と、結構な割合で、低い存在との「契約」を交わしてる人が多いみたいなので。
私の場合も、自己内観してる間に、いくつか「契約破棄」をしてきましたから。(笑)
私の所で可能な「契約破棄」の方法は、シータヒーリングでの施術になります。

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