「祈念」│詩片

我が身を清き光で充たせ
悪魔を手懐け 我が手中に治めよ
 
 
私はもう手離してるつもりだけどな。
もう終わった話だと思っているけどな。

私を否定されて悲しいのは何故だったろう。
私が私でありさえすれば、「ここ」にさえいれば、
私は悲しみの濁流に流されはしない。

ただ、「ここ」というのはただ一点、我を忘れて、全神経を、全エネルギーを「今」に打ち込んでいる時にだけ現れる場所だ。

私は「今」を、ただがむしゃらに生きているか?
 
 
私はこれでいい。
私の生きざまを、私の概念を、
私が見て、聞いて、経験してきたこと、感じた事を、
大事にしてくれてる人がいるんだ。
私は肯定されているよ。

もっと気楽にね、
滞ってる作業進めますか。
全部やり終えたら、また新しいことが出来るんだよね。
なにも無くなるんじゃなくて。

私は何を選択するのですか。

私はカバラを実践していない?
ああ、そりゃ失礼。
私にはもう必要ないんでね。

なんちゃって。
 
 
じゃ、本気出しちゃおっかな。
 
 
我が身を清き光で充たせ
悪魔を手懐け 我が手中に治めよ
 
 
でもこれは、 恐れからやっているのかな。
どうせ同じことをやるなら、向上心からやりたい。
「ありのままでいい」と理由をつけて、なにも学ばず向上しないなら、 地上に生まれた意味などない。

これは私を 正常に保つ手段である
これは私を 「ありのまま」の姿に保つ手段である

人には、その人に最適な方法が必ずある。
その方法はひとつひとつ、ひとりひとり違っていて構わない。
どうせ、辿り着く場所は同じなのだ。

互いに激励しあい、気を確かめあって、
いつかまた、辿り着いた場所で再会しよう。

私はこの道でいい。

「それでいい。他人の主張に惑わされる必要はない。私だって依存していたのだ。私の話を聞きに来てくれる観衆に、私を支えてくれた彼女らに。絶対などはない。”これが唯一の道だ”などというものはないのだ」

私はちゃんと事実を事実として受け入れているか。
私は自分の経験を信じているか。
私は私の魂を信じているのか。

こんなので揺らいでいてはだめだ。なにを言われても揺らいではだめだ。
感知出来る人は、言わずとも、ちゃんと「事実を知っている」のだから。

私は、事実だけを書いてきた。
嘘偽りなしに、私が知り得た事だけを書いてきた。

事実だけを書いてきたけど、
恩讐のカルマを解いて、
呪縛から解放されたら、
今まで「こう在るべき」と信じていたものですら、
呪縛だったと判ったの。

今まで居た場所は 既にあばら家
呪縛の契約から解かれて
再度訪れたそこには
魑魅魍魎の形をしたものと
陰湿な計略を練るものが居ただけ

こうだと信じていたものに裏切られた時
不思議と湧いてきたのは
清々しく 穏やかな感情だった

今は暗示が解けたような、開放感しかない。

私は私の直観を信じます。
私は私の魂の経験を信じます。
私は私の魂を信じます。
 
 
無意識という成層圏の星屑を
光の断片と 薄暗がりと 漆黒の塵屑と
僅かに残っている 鮮烈な感情と
未見の確実な希望とを

選り分けて集めて
一緒にして纏めて

さあ 今度こそ 私が 本当に生きたい場所へ

価値観の違いからくる、生理的な拒否反応も、感知すれば悲しいけれど、
悲しいは悲しいでいいか。
ただ流して、
なにも思わずに流して、
さようならとうたうの。
愛を一緒に流して、

「大丈夫。愛を表現し、創造的になりなさい」ですか。

ああ、陰口は羨望。
陰口は嫉妬。
なら、萎縮する必要はない也。

互いに忘れるんだ。互いにね。
もう忘れるんだよ。
 
 
私はもう手離すって決めたんだ。
手離すと決めたからには、
もう話題にのぼらせることもやめるのだ。

一滴たりとも、このエネルギーを、無駄に使ってはならない。

じゃあ、これで終わり。

私が本当に望んでいる事だけに、私の生命の時間を割くの。

これは力の祈り。純粋な力の祈り。
私をより良く動かす為の祈り。
 
 
我が存在の中心にある 我が神性の源よ
我が身を清き光で充たせ
私以外のものが 二度と私に入り込めぬように
私以外のものが 二度と私を支配せぬように
悪魔を 大地を 私を手懐け 我が手中に治めよ
 
 
 
さあ、本来の、在るべき私へ。
 
  
 

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