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共同体と個性/「時代の流れ」を俯瞰して見る

 
スピ界では表面的な我欲(エゴ)を捨てて感覚で生きましょう的な風潮が強いと感じるので、何も考えない事がいい事のように思ってしまうね。
でも違うんだよね。
ああ、そういう風潮があるから、「女神の時代」とかって思考的な女性性を重視する流れも出てきたのかな。

先導的なリーダーシップを持つ人が、そういう大きな流れを作り出すんだけど、私達の個性は、一つの型には到底収まりきらない。

感情的なものも思考的なものも、両方なくてはならない大事なものなんだけど、そのバランスの比重は、人によって様々で、
決してみんなが5:5で均衡を保ってるわけじゃない。
そこはもう個人レベルで調整するべきもので、大きな流れが「こうである」みたいにいう事じゃないな、と思う。

なんか流行りものみたいじゃない?
昔は感情が主流だったけど今は思考が当たり前なのよ、みたいな、そんなものに自分の基準を頼っていては、いつまでたっても自分の軸を見つけられず、自己確立なんて程遠い状態になる。

時代の流れというともっともらしく聞こえるんだけど、
どんな時代にも様々な個性の人がいて、時代の流れの中でどうやって自分らしく生きようか、って一生懸命生きている。

時代的なものと言われる、世間の風潮と、
一人ひとりが持つ個性って別物。

自己確立は自分の本質を知ることから。
自分の本質を信じて生きていくことから。
誰かのいう事を鵜呑みにするんじゃなくて、自分が持つ資質を把握して、自分が持つ能力を信頼することだな、と思う。

そうだな、じゃあ大きな流れを作り出す事で何が出来るかというと、共同体を作りだす事だよね。
共同体、コミュニティを作り出す事で、個人の力では到底及ばないエネルギーが生じる。
そのエネルギーで、地域や国家単位のものを作り出したり、変えたりできる。

コミュニティは「力」なんです。

同じ指向性を持った味方をたくさん作り、連帯感、一体感、安心感を得る事で、一定方向へ動く力をひとつに束ねて行使するもの。

ただ、これは共依存の温床にもなり得る。
このコミュニティの中に居れば安心、と思えば向上心も無くなる。
このコミュニティからはじき出されたら、もう生活して行けないとさえ感じ始める。
その恐れが、更に連帯感を強め、コミュニティに反するものを徹底的に排除する行為に繋がっていく。
その場(コミュニティ)に居る限りは、安心して生きていられるから。
だから、別々のコミュニティ同士で争いが起こったりするんですね。国が戦争する時だって原理は同じ。

自分の内側から生じたものでなく、外から取り込んだ思想を信条にしている人とか、「あんな人になりたい」と思っている人とか、コミュニティのトップを崇拝するような姿勢でいる人は、魂レベルや意識レベルではなかなか成長できない。
エゴが発達し過ぎて我がままし放題な人なら、コミュニティの中で共同体訓練をするのは有効だと思いますが。

自分は自分にしかなれないんですよ。
誰かがああやってるから私もああすべきかな、と悩む必要はないです。
ちょっと寂しいですかね。でもそれは、依存による寂しさである事が大半です。
個性の確立を重視し過ぎると、孤立感が高まりますね。でも、決して独りではないんですよ。どれだけ独りになろうとしてもなれないのが人間ですね。(笑)

この地上に生まれて生きているっていうだけで、自動的にどこかの共同体に所属してるんですよね。
国も共同体、会社も共同体、学校も、家庭も共同体。自治会も共同体。宗教団体は典型的なコミュニティですね。
主婦なんて何にも属していないと思ったら大間違いで、実は一番身近な地域社会に貢献できる役割を担ってる。
地味~に感じるんですけど、この地味~な所が変容すると、そのうち国もひっくり返るよ。(笑)
だんだん何の話してるか解らなくなってきたぞ。(笑)

私は地味~に活動してるので、たいそうな組織に所属する必要はないな、と思っているんですが。。それは、組織に所属する人の意識の在り方が、「この人(トップの思想)の言う通りにしてればもっと素晴らしくなるのに」っていう所へ偏り過ぎてて、それに巻き込まれるのが嫌だから、というのが大きい。
その人のやり方と、私のやり方は違うからね。私のやり方でやろうとすると、「それは間違っている」って言われるから、窮屈なんですよね。
私はちっせぇ人間ですから。器の広い人の下でないと働けないし、言う事聞かないね。(笑)
。。こんな書き方するから見下されるんですかね。(笑)でも、人間なんて小さいでしょ?

地球って器が大きいと思うんですよ。
「私」という人間が、個性がどんなものであろうと、丸ごと受け入れてくれている。
私が共同体に属するとしたら、地球が持つ自然そのものの中に属したいな。
いや、皆もう既に属してるはずなんですが、意識的にはほど遠い人が多くて、「地球」という共同体の在り方自体を、エゴに基づいて変えようとしている。地球を、共同体ではなくて単なる資源、道具だと思っているからそんな事が出来る。本当は逆なのにね。
産み育ててくれた両親を、お金とご飯を出してくれて何でも言う事聞いてくれる都合のいい人だと思ってるのと同じだよ。それは、依存だよね。

視野の広さ(思考的)と、器の大きさ(感情的)。これが広がればきっと、人間が作った共同体の方こそ単なる道具で、絶対的なものではないことが解る。

私達は、人間が作った共同体よりも、もっと大きな共同体の中に居る。
その大きな共同体の中でこそ、人として確立し、個性を尊重しながら、助けあい、手を取り合って生きて行ける。

個性を確立する事と、共同体に属する事は、相反する事のように感じるけれど、もっと大きな視点で見えるようになれば、そしてそれを体現できるようになれば、それはイコールだ。

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