こちらのブログ、だいぶご無沙汰している気分ですが、私の中での気づきや変化は相変わらずあるので、少しだけ最近の事を書こうかと。
ボトルは今塗っていませんが、それでも変化があるのは、私の本質的なものかもしれない。
私はマヤ暦のKINで、ウェブスペルが「黄色い種」なのですが、これは一言で言い換えると「気づきの種」みたいなものらしくて、あらゆるものから得られる気づきによって成長し動く、という性質があるようです。
言われてみればそうですね。私から「気づき」を取ったら、スピ界では多分役立たずです。(笑)
気づきは何処からでも得られます。日常の些細な事からでも、絵を書く事からでも、文章を書く事からでも。ボトルはその後押しをするのですね。
最近の大きな変化として、ハートエンジェルの統合がありました。
私のハートエンジェル、ちょっと複雑だったようで、二つに分かれていたんですね。
光と闇、
男性性と女性性。という具合に。
私の一部であるこの天使は、複数の過去生を通して、ずっと分かれたままだったようです。
それがこの度、ようやくひとつに戻る事が出来た。
何で分かれていたのかというと。。いろんな経験をする為だったんだな。と、私の感覚では思う。
叡智を得る為の経験です。
この地上で、三次元で身を持って体験し、感じたものしか、魂の記録(アカシック)には残りません。
頭の中に知識を溜めこむだけでは、何も残らないんです。
何も伝えられないんです。
私は過去生では、自分の中で「真実」だと信じられるものを探しては実践し、自分のものにするという経験を、ずっと重ねて来たようです。
今生では、分かれてしまったものを再び統合する為の実践、経験をずっと続けて来た、と思っています。
いまの私が表現出来るのは、過去生からの経験が8割、今生での経験が2割くらいなんじゃないかな、と思っています。
で、ハートエンジェルが統合すると、当然ですが感情面でかなり安定したと感じました。
今までは極端に、切るかくっつくか、という選択しかできなかったのが、統合する事によって俯瞰的な視野で感情を眺められる様になった。。という感じ。
一言でいうと、楽です。(笑)
身の回りで起こる、色んな出来事に対して、自分に向けられる意志や感情に対して、以前よりもずっと冷静に対処できるようになった。
あと、ハートだけが知っている真実。。自分だけの「道」みたいなもの、それを取り戻したという感覚があります。
今まで、ずっと振り回されていましたね、周りの人の考え方や信念に。
それはそれとして認めて、その上で自分の軸を確立しなければ。
と、思いつつもグラグラしていたのは、この真実を持っている片割れを、私が統合出来ていなかったからなんですね。
統合できると、改めて、「私はこれでいいのだ」と確信が持てるようになりました。
他の人の軸(真実)に触れると、グラグラします。自分はこれでいいのか、この道でいいのか、と。
この道でいいんです。(笑)
加えて、インカネーショナルエンジェルにも、変化がありました。
インカネーショナルの次元では、ずっと「このやり方でいいのか」という自信のなさからグラグラしていました。
でも、こちらもまた、自分の性質を肯定する事で、「私はこれでいい」という確信を持てるようになりました。
男性性が強い私は、自分が本当に好きなやり方で、楽しめないと続けて行けない。(笑)
自分に鞭打ってビシバシとやりましょうとか、アレは良いけどコレはダメ、という感じでは具合が悪いんですね。
。。組織の中に居ると、少なからずそういう感じになってしまいます。
ある程度の規律がないと、組織として統制取れないし、成り立たないからですね。仕方ないと思いますが、私はやっぱり、そういうのはダメだなと。
でも、そういう組織に属してる方が自分にとって良い、という人もいるので、「良い悪い」の問題ではないのですが。
えーと。近況としては以上です。以下は付録になります。←
そうですね。
「私」という個性をある人が見たとして、
「あなたは高い所(見えない次元)にばっかりエネルギーが行きがちだから、もっと体を動かしてグラウンディングしたらいいよ。ダンスとか趣味のスポーツとか。」
という人と、
「あなたはもう充分思考の回転が早い(上位チャクラにエネルギーが行きがち)体質だから、激しい運動しない方がいいよ。余計に思考が早くなって肉体の方が付いて行けなくなるから。家事こなして散歩するくらいでいい。競歩とかもダメ。」
という人が居るんです。
これ、両方とも実際に、私がある人に言われた事です。(笑)
で、実際にどうなのかというと、私は生まれつき、激しい運動は出来ない体質なんです。
学生時代は、体育の時間もかなり辛いものがあった。以前にも少しブログに書きましたっけ。
具体的には心臓に持久力がありません。ちょっと走っただけで心拍数200超えてしまって、体の末端(手足や歯など)に痺れが来ます。マラソンなんかしたら死にます。←
学生時代は声楽を専攻していましたが、この持久力の無さが原因だったのか、歌うたんびに軽いめまい起こしてました。すぐ脳貧血起こすし。orz
ヨガですら、辛くて続かないんですよ。orz
そんなわけで、後者の人の意見の方が、私にはしっくり来ます。
以前クリスタルを通して相手をリーディングする、という練習をした時にも、私は運動した方がいいのか?と聞いたら、
「しなくていいです。公園でブランコ漕ぐくらいでいいみたい。(爆)」
というお返事をもらってました。
それ運動なのか?(笑)という感じでしたが、それくらい必要ないんだね、私には。。
これも体質によりけりだと思うんですけど。。
意識が高次に行きがちな人は地に足が付いてない、って、この世界では常識的にまかり通っているようですが、そういう思い込みがある人が、私みたいな人を見ると、
「あなたはグラウンディングが必要」って思うみたいです。
グラウンディングするのに手っ取り早いのは、運動や食事を摂る事。
そうそう。私はお肉も食べられません。
お肉はグラウンディングするのに手っ取り早いと言われていますが、私はスピの世界に本格的に入る時、お肉食べられなくなりました。(爆)
矛盾してますよね。
でも私の場合、運動出来ない、お肉食べられないというのは、肉体にネガティブな負担をかけない為の措置であると感じます。
高次に繋が
っているって事は、ちゃんとグラウンディング出来ているという事。
でも、繋がってる人が更にグラウンディングをやり過ぎると、錨の役をする肉体に限界が来て、鎖が切れちゃうんです。
車を運転していると、上に繋がりやすいって人はいませんか?
私は、高速道路は運転できないんです。100キロ以上出すと意識が飛びそうになります。
その時の身体の反応は、というと、やはり心拍数が上がっていまして。エネルギーも上の方に浮いてしまっています。
自分が運転する時のみです。乗せてもらうのは大丈夫。
。。ああ、でも、子供の頃は車に乗るたびに具合悪くなってよく吐いてた。。←
運動する事や、意識的に高速で移動する事で、逆にグラウンディングが弱くなる。(爆)
そんな事もあるんだなぁと。。
前者の人が言う通りに、グラウンディングしなきゃと思って頑張ったら、逆に地に足付かないどころか。。完全に中身抜けて倒れる事になりかねないんですね。。私。
私の場合は、少し特殊なのかもしれません。ハートチャクラを肉体で制御しないといけない理由が。。あるんだろうきっと。。。←なんか心当たりに気づいた(爆)
だから、自分の事は自分でしっかり把握するしかない。最終的には。
話をちょっと戻します。
このブログには書いたかな?
高次に繋がろうと思ったら、グラウンディング力は必須です。
これを逆さまにして言うと、
グラウンディング出来ているからこそ、高次の自己(ハイヤーセルフ)に繋がっている。
大地にしっかり錨を降ろして、「中身」にしっかり鎖を繋いでいないと、高次に飛んで行った時に戻ってこれなくなります。
後者の人に言われたみたいに、「思考が早くなりすぎる(上位チャクラが拡大し過ぎる)」のです。
グラウンディングで意識が拡大する?
矛盾してるようですけど。チャクラの相関関係を考えると、だんだん解ってきます。
色で考えてください。
第1チャクラの赤の補色は緑。第4チャクラです。
本当の高次レベルに繋ごうと思ったら、ハートを開かなければ繋がりません。
第4チャクラは要なんです。ハートエンジェルが要だと言い換える事も出来ます。
この辺り、インカネーショナルエンジェルとの連携が不可欠だと感じます。というか、連動してます。インカネーショナルは第2チャクラの方に近いですが、過去の蓄積を持っているという点ではアースチャクラ、行動面を支えるという点では第1チャクラとも関連があります。
メッセージを受け取るなら、同時に第7チャクラを開かなければなりません。
こちらの補完関係は第3チャクラです。つまり自己を確立して自分を信じられなければ、チャネリングを正確に行う事はできません。ここはインテレクトエンジェルが仲介してくれます。インテレクトの性質をフィルターにして高次からのサインを受け取り、表現すると言ったらいいかな。
多分この辺を誤解してる人は多いと思う。
第7で高次に繋がるのは、言葉やイメージでメッセージやサインを受け取る為です。
高次に繋がって生活の中に生かしたいのであれば、第4チャクラをまず開くべきです。
でなければ、実際の行動が変わりません。
「頭で解ってるけど実際はなかなか変われないよねー」っていう状態になるのは、第6、第7チャクラばかり意識して第4チャクラを開けていない場合です。
私にアドバイスしてくれた、
前者の人は恐らく、私とは思考パターンも体質も違う人で、
後者の人は、私と少し似た体質の人だという事を、私は知っています。
私に異なるアドバイスをくれた人達は、二人ともプロのセラピストです。
けど、セラピストと言えど、相手に自分の姿を反映して物事を語ります。
さっき例に出した二人は、私にアドバイスしているつもりで、実は自分の事を語っていたという事なんです。最近はそういう視点でアドバイスを聞くので、相手の姿がよく見えるようになってきました。←
評判の良いプロならオールマイティーで、的確なアドバイスをしてくれるか、と言えば、そうではないって事が良く解りますね。
人は自分の事しか語れません。
私だってそうです。
自分の中身、自分の経験や性質が物を言うわけです。
カウンセラーだってそうです。だから基本的には、カウンセラーはセッションの場で自分の事を語ってはいけないんです。これはカウンセリングのセオリーです。
カウンセリングを受けにくる人と言うのは、「自分の真実」を確立できていない人です。そんな人にカウンセラーが「自分の真実」をぶつけたら、クライアントがグラグラしちゃって不安定になるだけです。
それでもクライアントがカウンセラーの意見、真実を支持するのなら、それはクライアントがカウンセラーの真実(軸)に染まっているだけです。元々自分が信じる「信念や軸」が似ているなら問題ないと思いますが。アドバイスする側としては嬉しいですよ。自分の生き方や考え方が相手から支持されている、という事ですから。
しかし、それが結果的にその人の為になったかどうかは、その人が完全に自己の軸、自分だけの道を探し当てて自立できたかどうかで決まるんじゃないでしょうか。
カウンセラーとクライアントがそれぞれ思う「真実」は、それぞれ異なるものです。
カウンセリングというのは、人間関係です。交流のためのツールです。
人との交流を通して、ああ、こういう人もいるのだな、こういう人の場合はこんな対処をすればいいのだな、という「関わり方の術」を得る事は出来ます。
けど、自分が肉体を通して体験してきた以上の事を、会話の中から得ることはできません。
魂の経験として残らない、という意味で。
相手から聞いた事をヒントにして実践すれば、やがては自分のものになります。
けど、聞いただけで解ったつもりで、自分は今までと変わらない生活をしているのでは、いつまでたっても異なる性質の相手を、本当に理解する事はできませんね。
私にも自分のオリジナリティ、個性がありますから、出来る事と出来ない事があります。
異なる性質を自分に取り入れるのには限度がある。
自分が全ての性質を受け入れられないのと同じように、
全ての人に受け入れられる必要はありません。
それは欲張りってもんでしょ。
ある程度付き合っても解り合えない、違い過ぎて自分自身に負担がかかるのなら、手放して離れた方がいい。
手放したら、今度はもっと自分に会う人がやって来るだろう。
要らないものを手放さないと、新しい風が入る隙間が出来ませんから。
多角的視野を得るとい