「女神の質を開きましょう」って言いますけども、
そもそも、女神の質って、女性性ってどういうものなの?
男性性の「与え広める質」とはどう違うの?
と思ったので、ちょっと生命の樹を見ながら書いてみます。
今回テーマにするのは、私達の誰もが持っている、心の中に存在する男性性と女性性の話ですので、肉体的な性別や男女別の話として捉えないでくださいね。男女関係なく共通するお話です。
この「生命の樹」の内容は、私がお仕事用に作ったオリジナルのものです。
ネット掲載用に情報量は落としてありますが、実際にセッションに使っている資料の一部ですので、この画像の転載・転用や印刷はご遠慮くださいね。
数字が付いてる丸い所が「セフィラ」、それらを繋ぐ棒を「パス(小径)」と言います。
図の向かって右側が男性性を表す柱、
左側が女性性を表す柱、とされています。
生命の樹の上の方に行けば行くほど高次元の純粋なエネルギーになり、
下の方に行くほど物質的な、現実を動かすエネルギーになります。
この図の、女性性の柱と男性性の柱に書いてあるそれぞれの質を見て頂くと、女性性は一貫して「外からの情報を受け取って何かを感じ、分析する、判断する」。
男性性はというと、天からのインスピレーションが大元になってはいますが、「自分の内側から発する、広める、実行する」という風になってるのが判ると思います。
あるものを見て、「美しい」とか、「可愛いなぁ」とか、人や物から発せられるエネルギーを感じ取る事が出来るのが女性性。。「感受性」って女性性なんですね。
一方で、元々自分が持っているもの、自分の魂の奥から湧きあがるものを表現しようというのは男性性の質である事が判ります。
ただ、男性性も女性性も、次元レベルによって表現の仕方が違ってきます。
女性性の柱の上の方、3番のセフィラだと受け取った情報を「ありのまま、まるごと受け取る・理解する」という質が強いのですが、
下の方の5番や8番に下がると、受け取った情報を「判断し、要らないものは切り捨てる」。そして物質世界に近い下次元になるほど、批判する性質が強くなっていきます。
一方の男性性は、上の方の2番だと、「天(1番のセフィラ)から降りてくるインスピレーションをそのまま、同じレベルの女性性(3番)に流し与える」、という感じです。
その純粋なエネルギーには、エゴが存在できないんですね。
だから、女性性の方もありのままを丸ごと受け止められるのだろう、と思います。
下の方の4番や7番になると、下次元になるほど天からのインスピレーションの波動が荒くなり、我欲も混じりやすくなります。
なので、例えば物質レベルに一番近い7番の次元で、エゴが混じった状態で「私はこれがやりたいの!」「私にはこれしかないから!邪魔しないで!」「こうするのが良いんだよ!」という風に強く自己主張すると、すかさず反対側の8番の女性性が、男性性から受け取った情報を「判断・分析・批判」し始めます。これは自分の内側でも働きますし、外側の人間関係にも反映します。
物質レベルのエネルギーが悪いわけでは決してないのです。具現化には必ず必要ですし。でも、現実を動かす力が強い分、エゴ(我欲・私欲・自分だけが良ければいいという感情)が混じっているとその「見返り」も相当強く跳ね返ってきます。「因果の法則」とか、「念は必ず自分に跳ね返ってくる」というのが、生命の樹を見ても分かりますね。
この生命の樹を見て、不思議な感じがしませんか?
歴史的に見て、女性性の力を制限してきたのは男性性の力だと思われてきました。
でも生命の樹では、批判や分析の能力は女性性の方が優れています。批判し排除する力は女性性の方が強いです。どうしてなのか?
男性性の力を権威的に強く感じるのは、下次元の7番のセフィラ辺りです。
この7番、8番の次元では、まだハイヤーセルフの次元(第6のセフィラ)まで到達出来ていない状態なんですね。つまりこんな低い次元レベルで、男性性と女性性は押さえつけ合い、今まで人類は言い争ってきたんですね。
自己の真我に到達できずに、エゴに支配された状態で居ると、男性性と女性性が戦い、互いに排除しあうような状態になるのかもしれません。
女性性は外からやってくるエネルギーに反応する側なので、自分からは動かないのです。なので原因を作っているのは男性性側である、と言う事が出来ます。
これって別に、現実世界で男性が女性を虐げてきたという話に限りません。女性でも男性性の強い人がいますから。←私だ
一人の人間の中で男性性と女性性が争ったり、互いに受容できない状態になると、自分の中身がバラバラになった感覚があり、事あるごとに傷付くような状態になります。
で、本題です。
自己受容に優れていて、愛や美に溢れる「女神の質」って、生命の樹のどこだと思いますか?
やっぱり、3番のセフィラなんですよね。他の女性性のセフィラでは、鋭く判断し切り捨てる質が強いですから。確かに、土地神様の中にはそういう女神様もいますけど。(笑)
でも、私達が魂の進化の過程で目指しているのは、そんな低い次元ではないはずです。
伝統的なカバラでは、人間が最終的に辿り着けるのは4番と5番を繋ぐパスの所まで、と言われています。1~3番のセフィラは神の領域であり、人間が辿り着ける質ではないと。私もそう習いましたが、それでは今スピリチュアル界全体で言われている「女神の質」には届かないと思うんですよね。
確かに1~3番は神聖な領域です。けど、私達は本来、誰でもこの領域を持っています。私は一人ひとりが既に持っている高次の神聖な領域の話をしたいし、常にそれを意識していたいと思っています。
なので、アセンションの話をする時に「ここから上は神域なので人間は立ち入れない」とか、境界線を張って自分の神聖な部分=ハイヤーや女神と呼ばれる存在に繋がるのを妨げるような言い方は、正直嫌いです。
神域や人が持つ神聖な部分は敬い大切にするべきだと思います。これは大前提だと思うのですが、「立ち入れない、到達できない」と分けて切り離すような認識で居ると、いつまでたっても本当の意味で意識上昇は出来ないだろうと。
人間の意識は近年で随分進化してきていると言われていますし、昔の人が決めた当時のレベルでの枠組みは、進化の過程で取り払ったり、新しく再構成されるべきだと思います。
それとも、
「「受け取る」感性・「与える」愛」への2件の返信
カバラの72天使、バースボトル、名前に対応するボトル…全部調べてみたら、見事に左寄りでした。
以前より随分マシですが、男性性が女性性の価値を認められない(女性性が男性性を受け入れる、の逆?)っていうことも起こり得てるのかも、などと思いました。そして今度はその逆も。
いろんな次元でお互いがお互いを受け入れる、その繰り返しなのかな、とか思います。
それから、現実を動かすエネルギーが足りないんだ(頭でっかち)ってことがものすごくよくわかってしまう状態でございました。
頭を作るのは体を作ることでできるよ、と言われてるような気がしましだ。
再構築されるべきなものは私たちの日常的な認識(個々人の問題)から、もっと大きな意識とか、何かのシステムとか、そういうものがどんどん枠組みすらアップデートされる時代になっているなあ、と思います。
女性性と男性性、バランス。内観大事ですね。
そんな色々なことを考えるきっかけになりました。
ありがとうございました☆
>aquamarielさま
>カバラの72天使、バースボトル、名前に対応するボトル…全部調べてみたら、見事に左寄りでした。
わお。。まじっすか。。恐らくそうだろうなぁと思っていましたが。。←
aquamarielさんはモニターで受けて頂いたので、第4の天使はお知らせしてませんでしたね。その天使が現実を動かすエネルギー持ってらっしゃいます。
現実を動かすエネルギーが足りない、と気づける所が、ちゃんと現実的なエネルギーを持ってる証拠かと。
全然持ってない人は気づく事すら出来ないです、多分。(^_^;)
上の方に天使達が偏ってるのも、高次レベルの話を魂レベルでスッと受け入れられる性質を持っているという事だし、とてもハイレベルな感性を持ってらっしゃるという事なので、決して地に足が付いてないわけではないと私は思ってます。
今はまだまだ。。と感じてらっしゃるかもしれませんが、高次の感性持ってる方がグラウンディングして現実的に動き始めたら、ちょっとすごいよ?w
と私は思います。
aquamarielさんにとっては、インカネーショナルエンジェルがやっぱり、一番のガイドなんでしょうね。
今回の記事はちょっと男性性寄りな書き方になってるかな、と思っていたので、女性性寄りの人が見たらどう感じるだろうかと思っていましたが。。そんな風に思って頂けると嬉しいです。ありがとうございます♪