柔らかい、水の中に漂いながら目が覚めた。
明るく透明な、色をほとんど感じない、穏やかな波に包まれて、マーシアはゆっくりと目を開ける。
身に覚えのある、優しく満ちるエネルギーを感じて、ここがカスタリアの泉である事が分かった。
マーシアは胸元に、そっと手を添える。
長剣に貫かれたはずの傷跡は、綺麗に塞がって跡形もなかった。
泉の治癒作用と、傍に感じる、温かく懐かしい大天使の気配が、彼女の傷を癒すのに、大きく力を貸してくれていた事が分かる。
。。過去のあの人と縁を切ってしまったら、手放してしまったら、
もう、会えないんじゃないかって。
独りになるんじゃないかって、思ってた。
泉に差し込む、明るい光を見つめながら、マーシアは声にせず呟いた。
独りになる。そう思うと、寂しさに胸が震えて涙が出そうだった。
あの絶望の中で、独りになると思っていた。
。。そうじゃないのね。また会えるのね。。
マーシアが呟くたびに、彼女の体は少しずつ、泉の水面へと引っ張られるように上昇していった。
新しい場所で、真っさらになったあの人と一緒に、
また、生きられるのね。。。お父さま。
泉の水面に、彼女の体が浮き上がった時、傍で待っていたのは、優しい緑色の瞳で微笑む大天使だった。
「やっと帰ってきたね。。。おかえり、マリア」
水に浮かぶ金髪の頭を引き寄せて、穏やかな声をかけるラファエルの頬に、マーシアは手を伸ばした。
そう言われたのは、確か二度目。
けれど、今度は笑顔で答えられる。
マーシアは、ありったけを笑顔を作った。嬉し涙に震えそうになりながら。
「。。。ただいま。。。お父さま」
一夜明けて、明るい日差しが差し込むサロンに、メリッサは再び足を踏み入れていた。
酔いから覚めた彼女の前に広がっているのは、散らかったままのサロン。テーブルには片付けられないままの皿とグラスが山のようにある。
そして、彼女がいた時には無かったはずの、長いソファの座面に開いた刀傷。染み込んで黒ずんだ血痕。床には乾いた血の跡が広がったままだった。
「。。。なにやってんだか。。。全く。。」
呆れたようにため息をついて、それでも、メリッサは長ソファの血糊から目を離せなかった。
自分が刺された時も、あんな傷だったろうか。
しばらく立ったまま、じっとソファを見つめていたが、やがて、ぺたり、と胡坐をかいて、メリッサはその場に座り込んだ。
遠い昔の記憶が、メリッサの脳裏をよぎる。
自分の胸元から突き出た剣先を見た時、あの時やっと、彼女は涙を流す事が出来た。
。。凍りついた心を溶かしてくれた、温かい刃だった。
ガラス戸が開く音を聞いて、メリッサが振り返った。
戸を開けてダイニングから現れたのは、昨夜倒れたはずのマーシアだった。
いつもの淡い水色の、すその長いワンピースを身に纏い、刺された覚えなど無いように、戸口にすらりと立っている。
床に座り込んだまま、メリッサは彼女の姿に目を見張った。
「。。あんた、もう戻ってきたの」
「片づけようと思って。。」
ためらいがちに返事をするマーシアをまじまじと見上げながら、メリッサは彼女の回復の速さに内心驚いていた。
。。ま、ラファエルが連れてったっていうから、早くて当たり前か。
メリッサは独りで納得すると、またマーシアに背を向けて、長ソファに視線を戻した。
何をするでもなく、血に濡れたソファを眺め、ただ座り込んでいるメリッサの背中を見つめて、マーシアはおもむろに口を開く。
「。。ずっと、殺されたかった。あなたみたいに」
「そう。。?」
メリッサは、振り向きもせず、こう答えた。
「あたしはね。。。アイツと一緒に、堕ちたかった。。。あんたみたいに」
琥珀色の瞳から、何かが零れそうになるような気がして、メリッサは少しだけガラスの天井を仰いだ。
「。。でも、アイツはあたしには、頼ることなんてできないってさ」
メリッサの声が微かに震えたのを、マーシアは静かに聞いていた。
白に近い金髪を揺らして、メリッサはもう一度、今度は体ごとマーシアに向き直った。
その顔には、無理やり作った笑顔があった。
「良かったじゃん?念願かなってさ。堕ちる事も、殺される事も、あんたは両方叶えたんだ。。」
「。。大事だったからよ」
メリッサの心を汲み取るように、マーシアは言った。
「大切だったから、堕ちるのを見過ごせなかったのよ」
「そうかな。。そうかもしんないけど」
出来るだけ笑顔を崩さぬように、と、努力しながら、メリッサは答える。
「でも、堕ちるとか堕ちないとか、どっちでも良かったんだ。あたしは」
メリッサの声が、次第に涙交じりになるのを感じて、マーシアはかける言葉を失った。
すでに意志とは関係なく、ただ、胸の奥から波が押し寄せるように、メリッサの口を突いて、本音が流れ出していた。
「アイツと一緒に居られるなら、どっちでも良かった。。」
闇だろうが光だろうが、どこに居たって、構わなかった。。
思わず、声を上げて泣き出しそうになるのを、メリッサは懸命にこらえていた。
涙を堪えるのに、悲声を押し殺すのに、顔がくしゃくしゃになる。
慟哭を懸命にこらえるメリッサの前で、マーシアはただ、立ち尽くすしか出来なかった。
どれくらい、そうして座り込んでいただろう。ようやく、メリッサの心の波が凪いだ頃、彼女はマーシアに、「今」の気持ちを伝える事が出来た。
「。。大事にしてよ。アイツの事。あたしの大事な「パパ」なんだからね」
「。。。メリッサ。。」
片腕で涙をぬぐい、気丈に笑おうとするメリッサが、マーシアの目には痛々しく映った。
「。。。カッコわりぃ。。」
今更のように体裁を繕いながら、メリッサは自分を笑うように呟いた。
彼女の心を察するほど、マーシアはメリッサの言葉を、素直に受け取る事が出来なかった。
「。。それでいいの。。?」
「良いも悪いも。。アイツがあんたに惚れてんだからしょうがないじゃん」
はーっ、と、突然大きな息を吐き出して、メリッサは大きな息を吸い込むと、今度は両腕を高く上げ、顔をくしゃくしゃにしながら、大声で叫んだ。
「。。あ”ーーっ!!くやしいっ!! 悔しいったらくやしーーっ!!」
思い切り叫んで、メリッサは立ち上がると、マーシアの横をすり抜けて、サロンから出ていこうとした。
だが、立ち去ろうとするメリッサの腕を、マーシアは掴んで引きとめた。
「。。メリッサ、ひとつになろう?」
「。。何言ってんのあんた。。」
引きとめられたことにも驚いたが、その内容にはもっと驚いた。
「どうして私の所へ来たの?どうして私と一緒に居ようと思ったの?こんなに私の事嫌いなのに?」
メリッサは掴まれた腕を見つめたまま、何も言わなかった。
「。。あの人がいるからでしょう?だから私が居たって、私に邪魔されたって、ここに居ようと思ったんでしょう?」
いつになく、マーシアは多弁になっていた。彼女としてはただ懸命な思いで、メリッサに伝えたい事があった。
「だったら。。諦めちゃダメ。。」
『諦め』という言葉が心の琴線に触れたのか、メリッサの瞳に再び涙が込み上げてくる。
が、彼女はそれを気丈に振り払った。
「。。。あんたこそ、それでいいわけ?」
マーシアの、青い瞳を睨みつけながら畳み掛ける。
「他人のお節介ばっかり焼いて、自分を無くして苦しんでたんじゃなかったっけ?」
指摘されて、マーシアの瞳が僅かに揺れた。
「自分の事やんなよ!人がちょっと弱み見せたらすぐ自分忘れてさ!あたしの事ナメてんじゃないの?馬鹿にしないでよ!」
「。。。メリッサ。。」
「あたしはね!ここでやる事があるの!だから居るんだよ!馬鹿にすんな!!」
「ごめんね。。。そんなつもりじゃ。。。」
マーシアの手を振り払い、勢いよくサロンから走り去る。
メリッサの後ろ姿を、マーシアは申し訳なさそうに見つめていた。
「。。。ごめんなさい。。」
すいませんちょっと日本語が。。おかしい。。。確実に。。orz
徹夜して書くもんじゃねーなー。。。後で直そう。。←