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【星紡夜話】星渉り6・「さようなら」2

ひっそりと、音もなく僅かに瞬く光があるだけのサロンで、マーシアを「ここ」に留める為に、ユリウスはずっと彼女を抱きしめ続けていた。
マーシアから伝わる、苦しく熱い感情の痛みを受け取りながら、ユリウスは呟く。
「何故未だに、過去に留まろうとするんだ。もうやめろ。俺はもう、そこにはいない」
言われて、改めて彼女は気づいた。
私はまだ、あそこに留まっている。
あなたと共に苦しんだ、あの遠い過去の狭間に。

マーシアの魂の奥深くから、まぶたの裏へと、あの日の記憶がリークする。
彼女は思わず口走っていた。
「。。あなたは、本当に私を愛していたの?」
ユリウスは動かなかった。
互いに背中を抱き合いながら、体を預け合いながら、心はそこに留まらないかのように彷徨う。
「。。。だって、メリッサは殺してでも止めたのに、私の事は止めてくれなった」
ユリウスの肩に頭を押しつけながら、マーシアはやっと、本音が言えたと思えた。
「。。殺してくれなかったでしょう? 私が闇に堕ちても」
心の奥にくすぶっていた、自分でも忘れていた思いを、ようやく口にできたと思った。

ユリウスは、彼女の問いに対して、何も答えられなかった。
彼女の本音を受け取って、心が泣いている。涙がにじむのを、彼は密かに堪えた。

愛していた。
。。と、言えば嘘になる。
だが、愛していなかった、と言っても、嘘になる。
「。。ずっと頼ってきたからだ」
喉を焼くような思いを飲みこんで、ようやく、ユリウスは言葉を出した。
「君という最後の藁に、ずっとすがっていたからだ」

だから殺せなかった。
だから手放せなかった。

「そう。。あなたは。。ずっと頼ってきたものね。。私に」
マーシアは、感情を波立たせることも無く、ただ過去に思いを馳せてそう言った。
彼女は、ユリウスにもたれたまま、淡々と当時の思いを口に出しては呟いていく。

私はずっと、あそこから逃れたかった。
ずっと死にたかった。
けど、あなたは私を殺してはくれなかった。
ずっとあの地獄に私を留めて弄んでいたじゃない。
あなた一人で先に抜け出して、先に「死んで」いったのに。
私もあの時、一緒に死んだつもりだったのに。
でも、私はまだ死ねていなかった。
私の欠片はまだ、ずっとあの「時代」に留まって、そこで「あなた」を救おうとし続けていた。

ユリウスの両腕が、マーシアの体を強く抱きしめるのを感じて、彼女は過去から意識を戻した。
「。。ごめんなさい。恨みごとじゃないの」

ただ、勇気がほしいの。
新しい未来へ、一歩踏み出す勇気。
もうあんな仕事しなくても大丈夫だって。。

「お前があの仕事を引き受けたのは何故だ」
ようやく、ユリウスは声を絞り出した。
「俺を連れ帰るためだろう?俺はもう帰ってきた。もう必要ない。もうこれ以上、俺みたいなのを引き上げる必要はない」
耳元で囁くユリウスの言葉を、マーシアは静かに聞き入る。
「新しい、仕事が待ってる。メリッサみたいにな」

また、二人で始めよう。
独りにはしない。離しはしない。マリア。
ずっと一緒だ。だから、
「。。。独りで「そこ」に留まるな」

青い瞳から、涙が溢れて、落ちる。
ユリウスの紅いシャツに隠れて、マーシアは堪え切れないように涙をこぼした。
その言葉が、彼女はずっと欲しかった。

泣きながら、彼女が父と慕う大天使が、彼女が闇に向かうのを、ずっと見守りながら、ひとり呟いていた言葉を、彼女は思い出していた。

『それは私の仕事ではない。あなたの仕事ですよ、ルシフェル』

父の思いを、私はどれだけ汲みとれたでしょうか。
父の想いを、私はどれだけ成し得たでしょうか。

どれだけ多くの経験を積んでも、至らないと思う。彼女の想いを承知の上で、それでも「帰っておいで」と言い続けてくれた大天使の面影に、彼女は囁いた。

。。。帰ります。
今から帰ります。。。お父さま。

「。。終わりに出来るか?」
マーシアの胸の内を察して、ユリウスが尋ねた。
彼女ははっきりと頷くと、ユリウスの胸から頭を上げて、彼を見上げる。
その青い瞳に、迷いはなかった。
「。。あなたが終わらせたのに、どうして私が、続けなきゃいけないの」

終わらせて。
もう。
終わりにするから。

私はあなたの望みを叶えてきた。
今度は、私の望みをかなえて。

彼女は、まっすぐにユリウスの瞳を見つめて、小さいがはっきりとこう言った。
「私を、殺してください」


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