「神託」│詩片

 
「肉体の目を閉じよ。そして精神の目で見たものを明るみに出すのだ。もし自分の中に何も見えなければ、画家はその筆を折るべきなのだ」
カスパル・ダーヴィト・フリードリヒ
(1774年9月5日 – 1840年5月7日)

”1922年の記憶”
 
 
このスピリチュアリティが流行る時代は、人々の心を不安と恐れが包み込み、人々が縋り頼れるものを求める衝動に駆られる時代だったのかもしれない。
これまでの精神論ではもう生きられない。
限界が見えていた。そう思っていた。多くの人々が。

終末と言えば終末。
真の終末というのは。。
国の終末に立ち会い、世界の終末に立ち会い、
死んでまた生まれ、

国が死ぬということは人が死ぬのだ。
血を流して?
涙を流してだ。
涙なしに心は変わらない。
何故だ。
限界を超えるには勇気がいる。
それは。。。
ある意味、愉悦だ。
快楽と恐怖の狭間で、
震える魂はどちらへ向かう。
どこへ行きたい。
どこだ。
そして今どこにいる。

私の中の私が言う。

「俺はここに居る。
 お前は一体どこに居るのだ」

「お前がいる場所を知っているか」

そこに名前があるのか。
 
 
答えは生まれてこない。
 
 
思考が止まると虚無が生まれた。
なにもない。
なにもない事に耐えられなかった。
いや、
なにもないから耐えられないのではない。
あるはずのものがないからだ。
そこにあるはず。
無くなるはずなどないはず。
何故。
何故。

何故。
 
 
 
何故という言葉さえ消えてなくなり、
再び虚無が覆いかぶさる頃だ、
女神の声が現れた。
 
 
あなたは、家族を失ったのですね。
あなたの中に見える、
悲しみも苦しみも、ここに戻って来れば、私が全て癒せる。
でも、
あなたはまだ、そこに居ますか?
居たいのでしょう?

。。痛いのでしょう?


もう少し、居なさい。
迎えに行ってあげる。
あなたに相応しい世界へ、
私が、あなたの手を引いてあげるから。
 
 
「それは。。」
問いかけようとして、もういない事に気がついた。
また虚無が来る。

。。。マリア。
待ってくれ、もう少し、
もう少しだけ、声を。。

。。。聞かせて、くれ。
 
 

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さっき急に降りてきたんで書いてみました。主にソラム(メンター)が降ろしてきたもの。
 


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