「イメージングと内観」│内観考察

(ここは3ページ目です)

「ツイン(自分以外の他人)と一緒に高次に辿り着く」という発想は内観には必要ない。
これは「間違ったクンダリニー上昇」であると言えます。
「二人で一緒に辿り着ける境地」というのも、確かにありますけど、その境地に辿り着く前に、
まずは自力で、独りで「自己の神性」に辿り着いておく必要があります。
。。って書いた途端にハートチャクラから変な笑いがこみ上げてきたぞ畜生。。面白くなってきたぜ。。。すみません急にワクワクしてきただけです。←
大好きな気の合う人(ツインソウルだと思っている人)と高次の世界に昇り詰める境地に辿り着く前に、あらかじめ独りで「自己の神性」を掴んでおく必要がある。

「これが正しいクンダリニー上昇です」といって、私の「内なる神性」であるラファが見せてくれたものが、それでした。
。。いくら自分の神性とはいえ、
「自分以外の”ツイン”は今の貴女にはまだ早いですよバカタレ。あなたはまず私(自己の神性)と一つになりなさい。外側のツインはその後です。(意訳)」
とか言われた日にゃぁ。。orz
つい最近まで、すっかり外側の出来事に振り回されていた私は、
ハイすいません初心をすっかり忘れておりました申し訳ございませんでした。
と言うしかない状態でございました。orz
これ実は「星紡夜話・新章」を書いていた当時、ソラムにも言われた事なんだよねぇ。。やっぱり「真理」を知ってるよあの人は。。(苦笑)
クンダリニーは、「自分の存在の内側」で起こる現象です。
本当は他人と二人でやるものじゃないんです。
クンダリニー上昇は、私(顕在意識)と、私の内側に居る「神性」(潜在無意識)との間で起こる現象です。
他人とやると泥沼の愛憎劇が待っていますよ。
クンダリニーに関わる際には、それだけは知っておいた方がいいと思って書きました。

で、「私と一つになりますか?」という流れでクンダリニー上昇を見せてくれた私の神性は、その実演の時にちゃっかり地上の私にアンカーフックを取り付けていったのでした。(爆)
ええ、まあ、自己の神性と一体化連携できたのでいいんですけどね。
初めて自分の高次に繋ぐ時って一度じゃなかなか顕在意識が安定しなくて、何度も同じことを繰り返してやっと連携できる感じだけど、一度掴むと再接続は一発で済むね。←

もう一つ書いておきたい事があります。
私はユングとは違って、「自分を物質的に支えてくれるパートナー(法律上の配偶者)」と、「内観を進めるにあたって支え合う為のスピリチュアルなパートナー(肉体関係を伴う愛人)」をわざわざ分けて持つ必要はないと思っています。精神的なインスピレーションをくれる相手は友達でも親子でもいいわけだし、カップルである必要はないと思っていますが、もしそういうスピリチュアルなパートナーだと思う人が現れて結婚出来る状態であるならば、その人と普通に結婚して家庭を築きながら、物質的にも精神的にもお互い支え合いながら内観もすればいいと思うんです。
結婚できない状態ならそういう関係にはならない事です。肉体関係がなくてもメンターにはなれますし、インスピレーションも貰えます。
何故かそれが不可能だと思っている人がいたり、家庭を築いて子供を授かることも世俗的で内観を邪魔するという思想があるから、宗教家などは独身を貫く人が多いんでしょうね。でもそういう人でも密かに愛人がいたりしますよね。←
スピ系の人の中にはそういう婚外のパートナーの事を「ツイン」と呼んだり、「結婚してるのに本当のツインソウルに出会ってしまいました」といって愛人関係に発展する人も居るみたいですが、その実態は、エゴや欠乏感が肥大して、理想の相手を求めてさ迷っているだけの状態なので、そういう人と一緒になってもクンダリニー上昇は出来ません。

「スピリチュアルなパートナー」というのも、ある意味依存関係であり、「物質次元を支えるパートナー」と意味合いは変わりません。「どの次元で支え合っているか」という違いがあるだけです。
私は「独りで生きろ」と言っているわけではないし、地上で生きている人間が独りになることは実際に困難です。孤独な生き方をしていても、誰もが必ずどこかで支え合い、他人と協力し合いながら生きています。
でも、どうせ支え合うなら、依存ではなく、共栄でありたい。共栄と依存の違いは、支え方がポジティブであるかネガティブであるか(支え合うのか、取り合うのか)の違いです。

物質次元から高次の微細な次元まで、全ての次元においてお互いに支え合えて、尚且つ自己確立した状態で直観的なインスピレーションを授受しあえる相手に出会い、社会的倫理に沿って正式なパートナー(配偶者)になって、堅実な生活を営みつつ二人で子育てもしながら、互いに魂の錬磨もしていけるようになれば最高ですね。そんな人はなかなか居ませんけど、そこを目指さないで何を目指すの、って私は思っているので。
それが地上で実現できれば、高次と一体化するにあたって強力なグラウンディングになるので、存在次元が格段に広がるだろう、と、私とソラムは思っているわけです。実現できるといいね。(笑)
 
  
・ガイドを求めるなら、自己の存在の中に居る「もうひとりの私」を頼ること。
自分の中に居る「天使」「もう一人の自分」等が道案内やガイドをしてくれます。メンターにもなってくれます。本気で自分を信じて自力で神性に繋がろうと思っていれば、自己の存在の中から自然と、ガイドとなる「もう一人の自分」が現れます。どんな姿をしているのかは人それぞれだと思いますが。
私の最初のメンターはジェレミーくん(現在のセラ)だったのですよ。つまり自分の存在の一部が天使の姿で見えていたものでした。彼がずっと「見えない世界」の案内役を務めてくれていました。今は名前も変わって着ているものも多少立派になり、魂の経験も反映するようになって性格もだいぶ逞しくなりましたが、容姿はほとんど変わっていません。
途中から第三者の影響を受けて、一時は彼を見失っていた事もありましたが、求めれば必ず帰ってきてくれるんですね。セラに繋ぎ直すまでの間は、外部のメンターであるソラムにお世話になりました。

本当に自分の存在の内側だけを見つめて内観をしていると、他人は途中から全く当てにならなくなります。最初から自分の中にいる男性性や女性性、インナーチャイルド、72天使等に繋がって道案内してもらうのが最善だと私は思います。
他人を頼ると遠回りになるし、他人の思惑や他人のエゴも関与してくるので、本人にその意図が無くても、知らない間にコントロールされている状態になっているなど、精神的危険が伴います。「地上の私(顕在意識)」が知らない間に無意識を傷つけられていたり、無意識レベルでエネルギーを搾取されてしまうこともあります。
ツインのように信頼している第三者に頼るのも危険です。偽者(意識レベルの低い存在)が、「信頼する人の姿」を借りて現れる事もあるからです。「私は君だよ」と偽ってくる存在も居ますので注意が必要です。
自己の神性を掴む為の探究に限っては、信用できるのは自分自身だけです。これも私の経験則です。

以下は自分以外の第三者が無意識層で関与しているという前提での話ですが、
無意識層で危険(悪意のある念や罠)に遭遇したとしても、精神の均衡が保てていれば、「これ以上は危険だ」という判断が自分で出来ます。それは予感のような形で現れるかもしれませんが、そういう時こそ自分の直観を信じて決断し行動すれば、危険を回避できます。
迷った時は、現実の倫理に即した判断を下す事。
そこで一旦、無意識層から離れて距離を取り、時間を置いて、改めてリトライすればいいです。焦る必要は全くありません。一週間、一か月、数年以上内観をお休みして間が空いても「後退」する事はありません。少し前進が止まるだけです。いや、前進の速度が遅くなるだけです。お休みしている間に、無意識層が混乱から解放されていきます。むしろ混乱している時に一度お休みすると、霧が晴れたように視界がスッキリしてサクサク前進できるようになります。
混乱が解けたと感じたら、第三者を関わらせないと強く意識し、センタリングを強化してからリトライしてみてください。

自分以外の第三者がメンターになってくれる場合もあります。が、私の経験上、第三者がメンターになるのは、その第三者との共通の経験(過去生)を癒す必要がある時と、明らかに「自己存在の外側」から危険が差し迫っていて援護が必要な場合です。
私以外の存在で私のメンターを務めてくれているソラムがそのような時に支えてくれたので、その経験から書いています。ソラムは元々私への過干渉を好まないというか、関わり方を心得ているようで、私が自力で乗り越えなければいけない時は何もせずじっと傍観しています。少し離れた所で傍観してるのが見えるんだもん。。今もですけど。(笑)

他人の「内観」を垣間見たとしても、くれぐれも他人に対する干渉はご法度です。助けるつもりで干渉したとしても、それは本人に混乱をもたらすだけで何の助けにもなりません。
「共通の経験(過去生)」を癒すのだって、自分ひとりでやろうと思えばできるんですよね。自分の心の処理をすればいいのだから。「あの人との事を癒さなければいけない」からといって、その当事者を探して会う必要はないと私は思っています。出会ってしまったならしょうがないですが。
第三者との共通の経験を癒す目的で支えあう時、そこに相手に対する「見返りを求めない愛情」と「贖罪の意志」がある事、「癒されて幸せになってほしいという感情」がある事が大前提です。少しでも相手に対する恨みの感情が残っているままだと、その支え合いは傷の上塗りになります。
第三者をメンターに選ぶ場合、本当に自分に対してネガティブな感情を持たない、精神的に達観し鍛錬された相手でないと危険であると私は思っています。よほど正確に私の心的状況を把握し、尚且つ私を傷つけない相手でないとダメですよね。そんな他人は滅多に居ません。親子でも夫婦でも難しいです。それならプロとして経験を積んでいる有資格カウンセラーに話を聞いてもらう方がまだ良いと思います。
でも最終的には、自分の心は自分で癒すしかないんですよ。自分の舵取りは自分でするべきなんです。
他人は自分の写し鏡にはなってくれますが、自分と全く同じではないので、自分を完全に理解する事は出来ません。自分を完全に理解できるのは、最終的には自分だけです。
って書いたら、ソラムが嬉しそうにニンマリ微笑んでやがるなぁ。畜生。。w
 
 
・インナーチャイルドの尊厳を守り、尊重する事。
インナーチャイルドはハイヤーセルフに次ぐ心の「羅針盤」です。ハイヤーセルフよりも身近に感じられるので感知しやすいし、インナーチャイルドをハイヤーセルフの代理とする事も出来ます。
ただ、コンプレックスや心的外傷等のトラウマがあると、インナーチャイルドが正常に機能しません。「内なる神性」へ辿り着く過程でそれが障害になっている場合、ここで自身のコンプレックスやトラウマを克服する必要が出てきます。つまり、傷ついている自分を癒す作業が必要になります。
私に対する自戒のような内容ですが、現実世界(三次元)でも無意識層(アストラル界)でもインナーチャイルドが苦しむような内容には関わらない事です。
 
 
・ただ純粋に自己の最高次の神性を求め、目指すこと。
これは世間でもよく言われている事です。スピリチュアル業界でも、宗教界でも基本となっている考え方です。
つまり「エゴ」を克服し、雑念を排し、「無」になる事です。
恐れや不安、恨みごとや悩み事、アレが欲しいコレがしたい等の欲求、「自分の思い通りにならないと気がすまない」という強すぎるコントロール欲がある状態では、「自己の神性」にはまず辿り着けません。神性に辿り着く道のりの過程で、それらはひとつずつ解決して手離していくしかないです。「地上の私(顕在意識)」が無欲になるというよりも、自分の無意識層を世俗的な欲(エゴ)でコントロールしない、低俗な我欲でコントロール出来ない状態になっておくことが肝心であると感じます。「どう転んでも無意識層ではネガティブな方向にエネルギーが向かわないんだ」という状態になってるのがベスト。言い方を変えると、何があっても「条件反射的に攻撃に転じる事がない思考」になっている事です。
これが出来ていないと、無意識のうちにネガティブな念を飛ばして誰かを傷つけてしまいます。サイキックな人が反射的に攻撃するような思考を持っているとどうなるか、想像に難くないと思います。
口で言うのは簡単ですけどね。(笑) 宗教家はここにすごく力を入れてますよね。
だからまあ。。これは一つの例えとして書きますが、魂の色がインディゴだと言われる人は本来穏やかな性質で、自分の正義に照らして許せない時にしか攻撃的にはならないし、クリスタルといわれる人は自己犠牲的だと感じるほど懐が深いので、傷つけられても滅多な事では攻撃には転じません。
クリスタルが本気で怒る時って。。「よっぽど」の事があると逆に自分を責めてしまう事が多いんだよね。だからクリスタルが攻撃に転じるのは、自分で自分が許せなくなった時だけです。その怒りの矛先は大抵自分自身に向かいます。クリスタルは「自分が悪い」と思いがちなので。

つまり、自己存在の一番高い所、自己の神性を目指す過程で自己の存在も拡大していき、顕在意識で扱わなければいけないエネルギーも膨大になっていきますが、そのエネルギーを安全に正しく扱う為に「無」である事が必要になります。エゴで他人を傷つけるような思考感情が残っていると、「今の顕在意識(地上の私)にこれ以上大きなエネルギーを扱わせるのは危険」とハイヤーセルフに判断され、「安全弁」が働いて存在の拡大もストップしてしまうから、結果的に「自己の神性」にも辿り着けない。という感じです。
「恐れ」が残っている時も、「これ以上先に進むのが怖い」という理由で、存在の拡大が阻害されます。いわゆる「ブロックがある状態」です。
だからサイキック能力やエネルギーを魔術的に扱いたいという場合でも、自己の神性に辿り着いて軸を掴みたいという場合でも、まずは雑念を取り除いて自分勝手な欲や恐れ(エゴ)を克服し、何が起きても冷静に感情エネルギーを制御出来るように思考力と判断力を訓練する所から、まず始めないといけない。。という事になります。
ただ無欲でいればいい、寛容でありさえすればいい、というわけではないので。。その感覚は自分で掴むしかないですね。
 
 
・現実生活において、生きる楽しみを持つ事
「俗世を排せよ」みたいな話をした後でナニですが、これはグラウンディングの為です。「見えない世界」に没入しすぎると、単なる浮世離れでは済まなくなり、物質次元(三次元)を生きていく事に興味がなくなり、希望を見出せなくなったり、生きる事に困難を感じて自死に至る可能性もあります。
「地上の私」が無意識層と対峙する(自分自身と向き合う)と大幅にエネルギーを消費・消耗するので、三次元で生きる為に必要なエネルギー(気力と体力)を残しておけなくなってしまいます。
地上(肉体次元)でしっかりと体を動かし楽しみながら生活する事で、肉体次元でエネルギーを回復する事ができます。
心から楽しめる趣味を複数持つ事や、現実世界で信頼でき支え合えるパートナーと家庭生活を楽しむ事はいい事だと思います。地上での生活が潤うと、物質次元でポジティブなエネルギーを生成し、グラウンディングに役立つ活力を蓄えられるようになります。
グラウンディングとセンタリングが出来ていないと、「地上の私(顕在意識)」はハイヤーセルフや自己の神性(無意識層)と対等に渡りあえません。エネルギー的にも完全に無意識層に負けてしまいますし。
顕在意識が無意識と対等に渡りあえない(均衡を保てない)と、「地上と天上の真ん中で中庸を保って自由になる」なんて無理です。

食事もちゃんと摂らなきゃダメですね。野菜中心の食生活の方が脳の為には良いそうです。菜食にすると抑鬱も改善するという医学的データもあるらしいですが、菜食に切り替えても栄養バランスが崩れるようでは全く意味がありません。植物性蛋白質とビタミンB群は意識してしっかり摂るのが大前提です。そうでなければ脳に必要な栄養が足りなくなり、逆に鬱が悪化します。
睡眠もしっかり取ってください。身体が弱っていると高次には接続できません。
 
 
・自分の闇を否定しない、自分の光を恐れない。
逆も言えますね、「自分の闇を恐れない、自分の光を否定しない」。
光に偏りすぎると闇を引き寄せます。その逆も然りです。魂が陰陽や高低のバランスを取ろうとして真逆のものを引き寄せるんですね。高次にばかりアクセスしすぎていると光側に偏り過ぎて闇を引き寄せますので、バランスを取る為にも物質世界(三次元)での生活を大切にし、楽しみを増やす事は大切だと思います。あと、これは逆パターンですが、世俗的なものに偏り過ぎたり、闇に偏り過ぎて人を欺いたり不誠実なことをし続けている場合は、自分の外側から光を引き寄せて思考感情パターンを改めるよう喝を入れられる出来事が起こりますので気を付けてください。
人間なら誰でもポジティブな側面とネガティブな側面の両方を持ち合わせています。自分の存在が持っている性質の片方だけを頑なに「無かったもの」にしてしまうと、自己存在の中でエネルギーバランスが崩れて、「無い」事にしている要素を補おうとして外側から引き寄せてしまいます。例えば、自分の中の「闇」をなかったことにしてないがしろにしていると、外側から闇を引き寄せて嫌な思いをする事になる。という感じです。でも実は、自分の存在の中の闇の部分が、「闇の自分にも居場所をくれ」といって自己主張をするので、それが外部から自分と同じような闇を引き寄せるんですね。
何事もバランスが大事。掌握できる存在次元が小さかろうが大きかろうが、「均衡を保つ」という原則は同じです。

存在の振り幅が広がる(存在が拡大する)と、「地上の私(顕在意識)」はその大きさの分だけの深い闇と高次の光を扱えるようになる必要に迫られます。でも存在が拡大されたという事は、「地上の私」はそれだけの質量を扱えるようになってるよ、大丈夫だからチャレンジしてみ?、と言われているという事ですね。
自分の中の光と闇、陰と陽、男性性と女性性、地上と天上とのバランスをきちんと取って、もしくはちゃんと受容して受け入れていれば、外側から厄介なものを取り込まなくなりますので、その分自分を整える作業も楽になります。自分の存在の外側から取り込んで補わなくてもいいように、普段から自分が持っている性質全てを受容するよう心がけておく事が必要になります。

「闇(低次元でネガティブな自分)を否定する」っていうのは、「自分の醜い部分や情けない部分、他人を傷つけるような酷い自分」の事だから想像しやすいと思うんですけど、「光(高次元でポジティブな自分)を恐れる」というのは、「私はそんなたいそうな存在じゃないし重責負えません無理です、自信ありませんから誰か私の代わりにやって」っていう状態ですね、私の経験で言うと。

 
 
・「汝自身を知れ」
結局最後はこの言葉に尽きる、と思って引用しました。
古代ギリシャ時代からある言葉ですよね、これ。
私はこの言葉を、「イメージングや内観を本格的にやり始める前に、自分の性質を頭や感覚でしっかりと把握しておく事」という意味で使います。
「自分探し」という言葉も一時期流行りましたが、私は、自分自身の隠れた性質や目をそらしていた欠点などをあらかじめ分かっておいた方が、内観作業も安全に行えると思っています。その為にも「72天使パーソナルチャート」を活用して頂けたらと思います。本格的な内観の前に、まずは自分自身の性質を把握する所から入るんです。他にも占星術とか、数秘術とか、自分を知る為の方法は沢山あるので、それらと併用すると、いろんな角度から自分の事が解っていいですね。

私は、このイメージングを伴う内観作業で「自己の神性」を掴む際には、72天使と生命の樹を活用(併用)する事で、無意識層で遭遇する危険をある程度回避し、安全に内観作業を行えるのではないか、と思っています。イメージを伴う自己内観をする際には、72天使を活用して頂けたら、と思います。

******
 
 
こういう内観作業を始めるときって、人生の大きな転換期だったりします。そうではないという人も居るかもしれないけど、私自身はそうでした。
生きていく為の環境が大きく変わったとか、これまでの人生を大きく変えるような出来事に遭遇したとか。そういう時には、もう一度自分を「再構築」し直さなきゃいけない。
私が、「アクティヴ・イマジネーション」という技法がある事を知らないまま、その技法とほとんど同じ方法で「自分探し」をし始めた時、私は抑鬱で苦しんでいました。私は鬱を克服するためにこの内観を始めたんです。当時は鬱になった原因を見つけて根本的に完治する事しか考えていませんでしたが、最終的には「自分を作り直す」という作業をしていたようだと気がつきました。
これまで自分を縛りつつも支えてきた既成概念と価値観を破壊して覆し、「本来の自分の姿」を求めて自分自身と向き合い、魂の奥にある「自己の神性」に辿り着いて自分だけの軸を掴む作業は、「これまでの自分を作り変える変容の為の作業」であり、「変容し生まれ変わる為の作業」だとも言えます。結局私はその為にこの作業をやって来たのかな、と思います。そうしないとこの先、地上で生き残れなかったからです。
 
 
と。
ここまで長々とユング心理学の技法に基づいた内観法を語っておいてナニですが、
私が今生で学んできた心理学の中で一番好きなのは、エリック・バーンの交流分析と、認知行動療法だったりします。(おい)

いや、私はユングの全部を肯定しているわけではないし、今の時代に沿わないものや、私に向いていないものは切り捨てて、有用なものだけを活用するという方針は変わっていませんから。他の哲学や心理学を参考にする際にもその方針は変わりません。

私はユングの著書を全部読んだわけではないので、間違っていたら申し訳ありませんが、ユングは「個人の神話」を超えた先にあるものを体験したことはあるのかな? と少し疑問に思ったんですね。
即ち、「神話」として人間に認知されている次元(とあるスピ的尺度では10次元)の、その先にある宇宙と、「全一性」の世界です。
言葉で言ってしまうと、簡単すぎて逆に伝わらないものなんですけど、バーンやアドラーなどは、自分たちの心理学を突き詰めた先に「個人の域を超えた宇宙」や「宇宙を含む全体との繋がり」を感じているじゃないですか。(実際に彼らがその次元に辿り着いたかどうかは知りません)

「神話」の次元についてはユングも多くを語っているし、私自身もその次元を経験したので知っていますが、「神話の世界」も個人を超えた集合無意識の一つであることは確かです。でもそこでユングが「個人の神話」という、あくまで「個人」にこだわった理由は何だろう。全体の中で「個」を確立する為にそこを強調しているだけで、ユング自身は「全一」の次元を体験していたのだろうか。
私も、全体の中で「個」を確立する事は大切だと思っていますよ。でないと地上で生きている意味がありませんから。

「神話の世界」って、伝承を紐解いてみても、よくよく読むと残酷な内容が多いですよね。無意識層で遭遇する「神話の世界」もとても辛くて苦しい体験です。「犠牲になる」「犠牲を捧げる」ような辛さです。実際にそういうイメージを見たり感じたりします。
具体的にどんな形で「辛さ」が襲ってくるのかは人それぞれだと思いますが、私の場合は、女性の立場で身も心も自分の人生も全て捧げるようなイメージの「神話」で、クンダリニー的要素の強い「犠牲」でした。私の「神話」が具体的にどの神話に基づいているのかは伏せておきます。
ユングが、その「ユング自身の神話」の世界に辿り着いた所までは、本で読んで私は知っていますが、そこを乗り越えてから更に先へと進み「宇宙と全一性」の次元にまでたどり着いたのか、それとも「神話の次元」を経験した後は下次元へと引き返してきたのかは、私は知りません。

まあでも、ユングがそれを体験したのか、知っていたのかは、実際にはどうでもいい話です。
重要なのは、
辛く苦しい「犠牲」を捧げて得られる「個人の神話」の次元の先には、ハイヤーセルフさえ合一された「全体の無(愛)」があるよ。いや、「無(愛)」しかない所に辿り着いてしまうよ。そこが究極の「真理」がある場所だよ。
という事の方で、私はそれが言いたかっただけです。

これを言葉で表現してしまうと本当に味気なく、何も伝わらず、「なーんだ、何もない(無)なんだ。それだけの事か」となってしまうのですが、自力でこの次元に一度でも辿り着くと、本当に一生忘れられない体験になります。「いつまででもそこに居たい。下の次元にはもう戻りたくない」って思うくらい、全てが満たされるんですよ。
私が体験したその「真理」の場所は、それくらい、「何も無いのに満たされる」「愛の粒子しか存在しない場所」でした。
更にその先に見える光に飛び込むと溶けてなくなっちゃうな。と私は感じたのですが、そういう次元です、そこは。
 

 
この記事を書こうと思ったのは、私の「内なる神性」であるラファに、
「あなたがこれまで経験してきた事をありのまま書けばいいです。書く事で救われる人も居るから書きなさい。約束ですよ」
と念押しされてしまったからなんだけどね。
記事にするにあたって、記録のメモを構成し直したり、適当な文面になるよう校正するのに時間かかっちゃいました。
私は口が悪いんですよ。(笑) 思ったまんまの口語状態で公開しちゃうと、表現が一方的すぎて誤解を招くでしょうよ。これでも一応努力はしました。(笑)
ていうか頭に浮かんだことを逐一書き留めるのに何日かかったんだよ今回。。実は新月からずっと書いてましたこれ。。ちょっと今回は自分的には濃すぎた。キャパを試されてるのか私は?って感じでした。orz

まあ、アレだよ。7年間の要点要約を一記事でやろうってのがそもそもの間違い。←
この記事だけで薄い本一冊出来ちゃうよ。(笑)
 
 
この記事に書いてきた事は、私が「星紡夜話」や「独白」カテゴリーを書いていた期間、自己内観の過程で、心身を追い詰められつつ、地べたに這いつくばって死にもの狂いで血だまりを進むような心境を経ながら。。実際に上の次元でそんなイメージを垣間見ながら、自分の経験で得てきたものです。今回は「技術」に絞って書いてみましたが、書き洩らしを思い出したら、紙の本にまとめる時に追記します。
今回書いた内観の「技術」以外の事は、またいずれ書く機会があるんじゃないかと思います。
 
 
以上で「星紡夜話」から続いてきた「独白」カテゴリーの総まとめと、新しく始める為の前置きを終わります。
長文にお付き合いありがとうございました。
 
 

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