「イメージングと内観」│内観考察

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ここからは、私自身の経験則です。私が実際に内観を経験して感じた事を書いていきます。なるべく私自身の言葉で書くように心がけます。言葉足らずになるかもしれないし、先ほど紹介した本の内容と重複する部分もありますが、自分の言葉で、自分の経験してきた事を大事にして書いていこうかと。

「アストラルトラベル」というのも、物質世界(三次元)以外の次元に意識を飛ばし接続する方法の一つなので、この記事に書いた事が当てはまると思います。アストラル層というのも人間の無意識層の一部分です。なので、「見えない次元」に関わる人、関わりたいと思っている人に向けて、少しでも参考になればと思います。

この記事に私が書いた事と、「アクティブ・イマジネーション」の本の内容を照らし合わせてみるのも面白いと思います。興味ある方はどうぞ。

久しぶりに長文を書きました。長くなりますのでお時間ある時にでもどうぞ。
 
 
・決して遊び半分でやってはいけない。
これは本当に、生半可な気持ちで「見えない次元(無意識層)」に関わると、思いがけず心的外傷を負う事もありますから興味本位では絶対にやっちゃいけないと思いました。遊びでやる事じゃないんですよ。私は遊びでやっていたわけではないですけどね。(笑)
私が「イメージング」を始めた理由は、抑鬱を患った原因を探る為でした。なぜ自分が抑鬱になったのか、どうしても知りたかったのです。

私が抑鬱を根本的に治したいと思って、通院する以外にも方法がないかと模索していた頃、遊びのような感覚で、集団で「イメージング」を活用した「アストラルトラベル」をしているスピリチュアルグループと、ネット上で関わりました(実際にメンバーと会ったことはありません)。そこでは、アストラル層で他人と待ち合わせをして他人同士が交流を行う、という形の集団瞑想が行われていました。最初は楽しかったのですが、関わるうちにどんどん苦しくなり、馴染めなくなりました。
私はこうした交流を続けるうちに、「これは他人と一緒にやるものじゃない、自分ひとりで自分に向き合うものなんだ」と思うようになりました。何故か「これは違う。これでは意味がない」と感じていました。多分「私にとってアストラル界における他人との交流には意味がなかった」んでしょう。このグループに関わる人達の考え方と、私の考え方は真逆だったのです。
このスピリチュアルグループに関わっていた間に共感能力(エンパシー)が開花し、そのグループに属する人達の、一見仲が良さそうな交流の下に隠れていたドロドロした感情が自分の内側に流れてきた時に、私はそのグループから距離を置く事を決意しました。そうしないと精神の均衡が保てなかったのです。
そのグループから離れた事で、私の心は静かになり、再び自己の内側を見つめる事に意識を向けられるようになりました。

でも本心では独りになるのが寂しかったのです。だからその分、イメージを書き留めたものをネットで公開し続ける事で活力を得ていました。
一人でも二人でも、どこかで誰かが見てくれているなら、それが励みになる、という気持ちでした。
そうして原因を探るうちに、「過去生」へとたどり着いてしまったんですけどね。
私が「自己の神性」に辿り着けるようになったのは、その「過去生」に現れている「トラウマ」を癒しながら乗り越えた後でした。
 
 
・見えたり聞こえたりした事はすぐに記録しておく。
見たり聞こえたりしたことを、脳裏に繰り返し反芻するように記憶する癖をつけています、私は。それを毎日繰り返し続けていると、無意識層での出来事が顕在意識に残りやすくなり、記録するのも楽になります。寝ている間に見た夢はこの方法でほぼ詳細に覚えていられるようになりました。
けど、起きている間に見たり聞いたりする「イメージング(内観)」の場合は、それでもすぐに書かないと色褪せてしまったり、大まかな筋は覚えていても詳細が分からなくなってしまいます。
私は記録媒体を常に持ち歩いています。昔は小さなノートやメモ帳でしたが、最近はもっぱらスマホやタブレットです。後でPCに転送して編集するのが楽なので。
傍から見ると、普段の私は家事をしつつ、合間にスマホをいじって何かを打ち込み、散歩の途中で立ち止まってはスマホに何かを打ち込み、ついでに風景写真を撮り、PCでブラウザゲームをしている途中でPCのメモ帳に何かを書き込んでいる。。という。。何してるんでしょうね私。作品のプロット集めですかね。(笑)
日付と時刻を細かく入れておくと、後で見返した時にいつ何があったか具体的に状況が把握できます。これが見えた時、リアルでは何をしていたか、とかね。
書くこと自体がグラウンディングになります。見たり聞こえたりしたものを、物質的に形に留める事でそれらのイメージは地上での具現化へと動き出します。アファメーションの原理に似ていますね。「イメージの具現化」は生命の樹ではイエソドが担っている性質です。

書いたり形にする事は、現実世界(三次元)をしっかりと生きていく為にも必要な作業です。
見えたものを「自己表現」や「創作物」として表現しないとどうなるかというと。。あんまり言いたくないですが、本当に精神病への道を辿る可能性が出てきます。例えば、「あらぬ方向に視線を向けて空想の中に浸ってるだけで日常がおぼつかなくなってる人」って気持ち悪くないですか(※差別の意図はないです)。。という表現をすると、「見えたものを書かない、形にしない」という状態がどんなものなのか、何となく想像がつくと思います。
私は最近は聞こえる方が多いので、どうしても文章での表現になりがちですが、映像で見える事もあります。映像で見える人は見えたままのイメージを絵や創作物として表現する事も出来ます。描いたものを改めて見つめてみると、そこから気づきを得る事も多いです。私も絵を描きたいので、遅くなっても絶対形にします。(宣言しないとやらないから私(笑))
 
 
・イメージはある日突然動き出す。
実際に、どんな風にしたら「イメージ」が動き出すのかを説明するのは難しいです。
私の場合は、断片のようなイメージが初めて動き出したのは中学生の頃です。それまでは記憶の断片のように映像が頭の中に浮かび上がっては消えるだけでしたが、動き出したのはある日突然で、それまで断片でしか見えていなかった女の子(自分と同世代に見えた)が、透明のガラスの壁を突き破って向こうからこちらへやってきた。叩き割ったのではなく、ガラスの方が自然と割れて、私の中にいた女の子がこちら側へ(無意識層から顕在意識側へ)飛び込んできたように見えましたが。
と、見えたものをそのままお伝えするしかないです。(笑)
その頃は「見える」事の方が多かったです。直観の方が強く働いていたのかな。今は「聞こえる」事の方が多いので霊感や共感能力に意識が向きがちになってるようですが。「見える」方の直観を鍛えた方がいいのかなぁと、最近思っています。「聞こえる」方の霊感は雑念や外からの雑音の方を多く拾ってしまうからです。
 
 
記録したものは公開しない方がいい。
さっき書いた事と矛盾するようですが、イメージングを伴う内観作業の最中は、出来る事なら親しい人にも、記録したものを見せない方がいいと思います。自分が感じたり見えたり聞こえたりしたことを、他人に否定されてはいけないんです。
何故なら、この内観作業(イメージング)は、自分だけのアイデンティティを掴む為に行うのであり、「自己確立」の為の作業であるからです。
自分の価値観形成に他人を土足で踏み込ませるような隙を与えるのはやめた方がいいです。

自己の神性に辿り着いて、自分の軸を完全に掴んだ、と思ったら、それを自分だけの「神話」として形にし、物語や絵画などの「芸術作品」として公開するのは良いと思います。「創作物」としてなら、見てくれる人にも楽しんでもらえると思いますから。
でも、その途中の過程で自己確立を妨げられるような無防備な公開はしない方が安全です。私が言うのもなんですが。(笑)
それでも公開しながら(誰かと内容を共有しながら)内観(イメージング)作業をする場合は、個々人の価値観の相違によって傷を負う事や、心の穴(欠如)を補う為にネガティブなものを引き寄せてしまう事、内容を共有する相手とは共依存に陥る可能性がある事を覚悟の上で行う必要があります。(私が「共依存」と呼ぶ状態を、ユングは「転移・逆転移」と呼んでいます)

「共依存」にもう少し加筆します。
さっきは否定されるパターンを書きましたが、肯定や好意を持たれる形で、内観作業している人の内面の世界に自分も参加したい、入り込みたい、と思う人もいます。これも非常に危険な行為です。内観作業に混乱が起こり、本来の目的から逸れてエゴを肥大させてしまったり、相手と自分の区別がつかなくなります。なので、内観作業をスムーズに行う為にも見えたものを無防備に公開する事は避けた方がいいです。
公開するのなら、完全に自分の神性を掴んだ後、「完結済みの作品」として、改変できない形で、他人が入り込む隙が無い形で発表するのが良いと思っています。
 
 
・自己の神性と繋がりを持とうとする際は、絶対に第三者(自分以外の人や存在)を関わらせない。
間違ってもアストラル界にソウルメイトやツインソウルを探しにいこう、出会えたらいいな、とは思わないでください。私もこれで失敗したから。(笑)
何度も繰り返しになりますけど、自己の中心から逸れて外界(集合無意識)と接触することは自己内観ではないです。それは単なる依存なのです。

「自己の神性」に向かって「自己の存在の内側」へ潜っていっても、必ず外界との接点に遭遇します。自分以外の存在が沢山集まって形成されている集合無意識(アストラル界)という場所に辿り着きます。自分自身もその集合無意識を形成する一員なのでそこを避けて通る事は出来ません。
そこで様々な派閥やソウルグループの人達に出会うけれど、でもそこに留まって安住してしまうと自己内観は進みません。
自己の神性と繋がりを持つ為には必ずそのグループから抜け出し、他人との繋がりを自ら断って、一人で先へ進んで行くことになります。これも私の経験から書いています。
一度は離れても、後で再び戻ってこれます。でも、集合無意識(他人が沢山いるアストラル界)には「私の真実」はありません。自分以外の存在をツインだと思って接していたとしたら、そこで一度別れなければなりません。
自分にとって本当に必要な相手ならば、いつか必ず「再会」できますよ。
 
 
・第三者とのすり合わせや正確さの検証は不要。
「これで合ってるかな?私が見たものは間違ってない?」と誰かに検証してもらう必要はありません。これをやると内観作業にならないんです。
「見えたものが正確かどうか」が大事なのではありません。見えたものが、自分にとって何を意味しているのか、何を象徴するものなのかを検証する方が大事なんです。
せっかく見えたり聞こえたりしたものに第三者を関わらせると、単なる「連続小説やドラマを作るだけの作業」になってしまいます。
あと、これが一番の弊害なのですが、第三者とすり合わせをしたり検証を頼んだりすると、他人の価値観が自分の存在の中に混じって混乱してしまい、せっかく見えたイメージを否定する事になります。これは自己否定に等しいです。他人を関わらせる事は内観による自己確立作業(自分だけの真実を掴む作業)の弊害になります。
内観で獲得できるのは、自分の為の自分だけの「物語」です。ユングはこれを「神話」と呼んでいます。それらは、「自分は何があってもこれだけは信じて生きていくことが出来る」という「自分の価値観が形として表現されたもの」です。
第三者とすり合わせて辻褄合わせをすると、単なる共同創作物になってしまうし、誰かひとりの「真理(自己の神性)」を見習って「みんなもこんな風にしましょう。この人の言う通りにしましょう」と広めて支持者を集めてしまうと「宗教」になってしまいます。
そもそもイメージを伴う内観の手法は危険な方法だから、危険なものを教祖一人に背負わせて、教祖に追随する人達は危険を冒すことなくその恩恵にあやかれるようなシステムを作り上げたのが宗教だ、というのが私の認識です。
それらはいずれも「私の真理(自己の神性)」ではないし、どちらも共依存なので、他人の神性に頼っていては各個人が自分だけの神性(真理)を掴む事は出来ないし、結果、自己確立できず個々人の意識や魂の成長(練度)が遅くなります。

あくまでも、自分が見たり聞いたりしたものに対して何を感じたか、何を思ってそのイメージに対応したのか、その時の自分の心の動きを大事に扱い検証してください。
イメージで見えたものは「象徴物」に過ぎないという事を忘れないようにした方がいいです。検証をするなら、その象徴物が自分の存在の中の何を表しているのかを検証してみてください。「男に見えるから」「女に見えるから」「天使に見えるから」「悪魔に見えるから」ではなく、その姿や雰囲気が自分の何を体現しているのか、「何故そのような姿で見えるのか」を考察してみてください。

そうそう。以前、72天使で女性名になっている天使が、男性の姿に見える、というご感想を頂いた事がありました。そんな風に見える事は間違いではありません。
その天使がインカネーション・エンジェルやガイダンスガーディアンの場合は特に、「自分の地上の性別と真逆の性別に見える法則」が働くのではないか、と私は考えています。私のインカネーションとガイダンスガーディアンは男性名で男性に見えるので、クライエント様から言われるまで気づきませんでした。でも私、たまに女性名のインテレクトが男性に見える時がありまして。。女性名なのに男っぽい性質なのでそうなるのかもしれませんがまだ考察中です。他にもそういう人がいらっしゃったら、一言教えて頂けると嬉しいです。ご報告いただけると増補版でお伝えできる内容も増えます。(笑)

今のところは、72天使の名前だけにこだわらず、見える通りに受け止めればいいと考えています。「男性・女性」に見える理由が、その人の考え方や感情の中にある場合もあります。
その天使がどのセフィラに属しているかに関わらず、女性に見える場合はその天使の峻厳柱寄りの性質が強く出ているのかな?、男性に見える場合は慈悲柱寄りの性質が強い天使なのかな?と考察してみるのも一つの手です。
72天使一人一人の性質については、また別記事で書けたらいいなと思ってます。
 
 
・自己存在の最高次(神性)をイメージとして捉えるには膨大なエネルギーが必要。
本当に自分の内側だけに向き合い、自己の存在の高次に辿り着こうと思うと、相当な集中力を要求されます。
単にイメージを見るだけなら、そんなにエネルギー要らないんです。
私は、日常生活の中で、家事をしながら、歩きながら、何かの作業をしながらでも無意識層に繋がっている事が多いですが、この状態だと、「集合無意識層」には容易にアクセスする事は出来ても、「内なる神性」まで辿り着くことは難しいです。この方法で辿り着けるのは、せいぜいアストラル界のてっぺん辺りまでです。それではただ、三次元の人間関係を「見えない次元」に持ち越しているだけです。
けど、「無意識層に現れるイメージに対して、自我が能動的に関わろうとすると」。。私の言葉で言うなら、「地上の私」が「自己の神性」と対等に渡り合おうとすると、相当エネルギーを消耗します。長時間やっていると日常生活を送る体力まで奪われます。これは私自身が実際に体験した事です。
高次のエネルギーは本当に微細なものなので、「地上の私」がそれを捉えようとすると、相当なエネルギーの一点集中を要求されます。
私が「自己の神性」に直接繋ぐときは、静かに座って、見聞きしたことを書き留める以外の作業は何も出来なくなります。
私が初めて自己の神性の頂上にいるラファに繋がった時は、5分くらいしか接続していられませんでした。この前久々にラファ(私の最高次の神性)に繋いで話をした時は、10分~20分くらいで集中力が切れてしまいました。私は性質的に人より集中力がある方だと思うのですが、くたくたになります。
本気でイメージを扱う内観をやってる人は、ものの数分ですさまじく体力(集中力)を消耗します。

ハイヤーセルフよりも高い次元である「自己の神性(真理)」にアクセスできるのはほんの数分、しかもいつでも思い通りに辿り着けるものではないので、意識して繋ごうと思ってるのに繋がらない状態でもガッカリしないでください。必要な時には必ず繋がりますけど、それ以外の時には繋がらないという感じです、私の場合。
その代りにハイヤーセルフや内なる天使達が伝達役として存在していますので、普段は6次元のハイヤーセルフと一体化(統合)できていれば充分です。生命の樹で例えると、「しょっちゅうケテル(自己の神性)に繋がれるわけではない。ティファレト(ハイヤーセルフ)に常に接続(統合)できていればそれで充分。ティファレトからは必要な時にどのセフィラにも行く事が出来るのだから」と言い換える事ができます。

それでも、少し「自己の神性」に繋がっただけでも沢山のヒントや創造的アイデアをもらえます。サインが降りてくる時って、本当に一瞬でしょ。ほんの一瞬で膨大な量の情報が降りてくる。降りてくるのはほんの一瞬だったのに、書き留めるのに何十分もかかったり、絵にするのに何週間もかかったりします。そんな感じで良いんです。
見る方が得意な人、聞く方が得意な人、色々ですので、その人の得意な分野で高次に接続すればいいだろうと思います。
 
 
・無意識層に現れるものと対等に渡り合う為には訓練も必要。
具体的には集中力と判断力と決断力を養う訓練が必要です。
私の所感で言わせて頂くと、
しっかりと「地上の私」が「こうしたい」という意図をもって、それだけに集中して無意識層にアクセスしなければ、「自分の課題」と「外側の現象(念)」に振り回されて、「内観」どころではない状態に陥ります。
普通、しっかりと自己の存在の内側にだけ意識とエネルギーを向けて集中していれば、自分以外の外側の声は聞こえないんですよ。周りでどんなに酷い事を言われていたとしても、ネガティブな念を飛ばされていたとしても、「自己の存在の中心(内なる神性)」にだけ意識を向けていれば、自分の存在の外側の事は何も見えないし聞こえないし、ダメージも受けない。微かに聞こえたとしても、心的ダメージは皆無なんです。
これは私自身が経験した事なので断言します。
言い方を変えれば、自分以外の存在の姿が見えたり声が聞こえる状態は「内観」ではない。
それは「霊感」や「共感能力」ではあっても、「内観」ではない状態です。
霊感は究極のエゴサーチだ。と私は思います。他人の存在を感知し、私に対して何を思っているのか、そこで誰が何をしているのかを知るのには非常に便利な能力です。自分の周囲に誰の念が近づいてきて私に何を言っているのかが聞こえたり、何を仕掛けてきたのかが見えれば、SNSで自分に対する噂話をエゴサーチする必要なんてない。(笑)
でも、それでは自分自身に向き合っているとは言えませんよね。意識が完全に自分の外側に向いていますから。

上でも少し書きましたが、他人の存在を感知する「霊感・共感能力」と、自分の存在の内側を探究する「内観・直観」は、別の能力だ、というのが私の実感です。
これは私の実感ですが、霊感や共感能力で感知できるのは、せいぜいアストラル界(5次元)辺りまでです。それ以上の次元(コーザル界より上)には自分の魂の記憶が眠るアカシック、ハイヤーセルフ、自己の神性が在るわけですが、そこへ辿り着く為には「直観」に頼るしかありません。
他人の声が聞こえたり、他人の姿が見えている状態では、自己の最高次の神性にはたどり着けません。
私の感覚では、霊感や共感能力を超えた先に直観がある感じなのですが、感じ方は人それぞれかもしれません。
でも私はそういう理由で、「内観(イメージング)は一人でやるものだ。他人とパートナーを組んで仲良く手を取り合ってやるものではない」と言っています。。言ってるくせに自分も外の世界(アストラル界)に逃げて遊んでたので人の事は言えないんですけどね。←
そう言われても自分と他人の区別が難しい、と思う事もあります。「これは私の存在の一部なのか、それとも赤の他人なのか」その区別をつけようと思ったら、多少の訓練や慣れが必要になってくるだろうと思います。
ただ、必死になって自他を区別しようと分析するのは逆効果です。詳しく検証しようとすると逆に思考が混乱する事もあります。

「内観する時は脇目もふらずに自分の内側にだけ入っていく」と、しっかり決意して「意思決定しておく」ことが大事だというのが私の実感です。だから、雑念があるとダメなんです。誰かに助けてほしい、手伝ってほしいと思っているとダメなんです。そこに他人が入り込む隙が生じます。「真理(自己の神性)への道は独りで往く道」なんです。人それぞれ現れるイメージは違いますし、人それぞれの心的過程を経て辿り着くものだから、真理(内なる神性)に辿り着くまでの過程を一つの型にはめ込んで、「みんながこの型通りの道を進めば辿り着けるよ」と言う事は出来ない。だから「真理への道はひとつではない」のです。やるなら最後まで独りでやると決意しておくことが肝心です。
コンプレックスが強かったり、心配事があったり、他人の目が気になったり、噂話を気にしていたりすると、意識が自分の内側から外側へ逸れてしまいます。
これは言い方を変えると、「霊感(他者を感知する能力)など無くても内観(イメージング)は出来る」という事ができます。
むしろ無い方がいいのかもしれません。自分の事だけに集中しやすくなるのではないかな。私はどちらかというと霊感がある方なので、全く霊感が無い人の事は分かりませんけれど。
 
 
・「地上の私」がどうするかは「地上の私」が決める。
意思決定の話が出たので追記します。
上の次元で起こった出来事に対して、自分の意志で判断し決断する事が要求されます。ハイヤーセルフの言いなりではダメです。ハイヤーセルフから言われたことに対しては、何故そうしなきゃいけないのか、と私は何度もしつこく自問自答して納得するまでは動きません。なので、ハイヤーセルフからは頑固者だとよく言われます。(笑)
ただ、エゴに基づいて反発するのではないです。「ハイヤーセルフ(無意識)に言われたからやるんじゃなくて、「地上の私」がやりたいからやるんだ」という感覚を要求されるという事です。これは「無意識がやりたい事と顕在意識がやりたい事」を一致させて、ハイヤーセルフと地上の私を対等にしていく作業です。
 
 
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