「執終止」│独白

ここしばらくの近況の中から、印象に残っているものだけ書こうかな。

「後始末に奔走してる」
と誰かが言っていた。あの男の事だった。

その後、ソラムが誰かに応援を頼んでいる声が聞こえたんだ。
「今は助けが必要だ、頼む」と。

そんなソラムに、「なんでそんなに日月の事を助けるの」と、誰かが聞いていたようだった。
ソラムはなんて答えていたっけな。

その頃は少し体調を崩していましたが、実際に三次元で何が起こっていたのか、大まかな所は大体感知していた。ネガティブを引き寄せるのは嫌だから書きませんけど。
外側から干渉を受けている時は、第三者の援助がとても有難く感じます。自分の中の問題なら、自分ひとりで解決できるんだけど、第三者が絡んでいると難しい場合もある。

解決するまでに少し時間がかかったけど、ソラムと、ソラムが呼んでくれた協力者たちが私の事を助けてくれたのを上の次元で見届けると、私の体調は良くなりました。霧が晴れたようにスッと良くなるから不思議だね。

昔は書く事で楽になっていた。
ブログを始めた2009年当時、多い時は一日に2つ、3つ記事を更新していた。始めた当初は、今みたいな長文ではなかったけど。毎日書かないと耐えられないような状態だった。書いて、不特定多数の人に見てもらう事で、エネルギー循環をさせてもらって、なんとか自分を維持していたところがあったのです。

ああ、もう8年前になるのか。。そんなに経ったようには感じていなかった。

今はちょっと違う。いや、だいぶ違う。
私は最近、改めて自分の事を振り返ってみて思ったのですが、
今が一番幸せだな、と。
この人生を生きてきた中で、今が一番幸せな状態だわ。と、ふと気がついたのです。
まあ、でも、まだ向上できる余地はあるから、気を緩めずに行きますけど。

自分が幸せな状態だと、何も焦ってやる必要がない。
自分が不幸で哀れだと思っていたら、幸せそうな他人を見ると赦せなくなるから、「自分が幸せだ」と実感する事はとても大事だな、と思います。
自分が幸せなら、満たされているなら隙間も無くなるから、低い次元に居る存在や、意識が低い人につけ入られる隙が無くなるんですよ。
幸せって何だろうかと、時々ぼんやり考えるんですけど、(←あまり根詰めて考えちゃいけないと思ってる(笑))
結局は自分の居場所がちゃんとある、と実感する事なのかな。。「居場所」って人それぞれで、「誰かに認められている」とか「誰かの役に立っている」とか「誰かに愛されている」とか「愛するものがる」とか「打ち込めるものがある」とか、価値観によっても違うから。

私の場合は、私の「居場所」とは、結局。。

でも、人の心を踏みつけて得られる幸せには、多大なる代償が伴うよね。

私が第三者であるソラムに助けてもらったのを見ていた男が、私にこう言ったのが聞こえた。
「72天使に頼るんじゃなかったのかよ」
つまり、これからは誰にも頼らず自力で何とかするって決めたんじゃないのか?と、先の記事を見て思ったようです。
ただ、私はそれを聞いても、特に感情は揺れなかった。心の水面の凪を感じながら、私はこう言っていた。
「助けてくれる人がいるというのは有難い事だ、感謝しかない。私はそれを否定しない」

昔はちょっと、突っぱねていたところがあったのね。
誰の力も借りずに、自力でやるしかないと。「だって誰も助けてくれないじゃないか」と思い詰めていた。実際に「独りで耐えろ、頑張れ」と言われ続けて、一番苦しい時に助けてもらえなかった、というのがあったからね。
でも、今はもうそういう心的状況ではない。何かあったら、使えるものは猫でも杓子でも天使でも悪魔でも使って乗り切ってやろう、くらいには思えるようになっている。(笑)

なんていうのかな。。内観とか心的作業を一人でやることには変わりない。のだけど、
一人でやっていても、決して世界から切り離されたわけではなく、孤立しているわけではなく、私という存在の中に引きこもっている時でさえ私一人だと感じる事はなく、
繋がっていて、必要な時は助けを呼んだり、逆に誰かを助けたりも出来るんだ、
という感覚です。

私の台詞を聞いて、男は少し悔しそうな、憎らし気な感情を放った。すると、私を助けてくれたソラムの友人が楽しそうにこう言った。
「当てが外れたようだな」
つまり私を「外の世界」から切り離し、孤立させて孤独感や不幸感を煽る為に「72天使に頼るんじゃないのか」と言ったのだな。

孤立する事も、最初は必要かと思います。
孤立が内観への入口になるから。カバラでは特にそうです。誰にも認めてもらえない、愛してもらえない所から始まる事が多い。「絶対にそういう状況から始めなきゃいけない」とは、私は言いませんし強制も出来ませんけど。
でも、自分の存在の奥深くへ潜っていって。。私は潜るという表現をしますが、昇っていくという感覚の人も居るかもしれないですね。でもそこで、自分の軸を掴んだら、最終的には戻ってくるのだな。
行ったっきりではないからね。
行ったっきりは危ない。(笑)

一度辿り着けたのなら、また何時でも行けるからね、あの場所には。

「戻ってくる」という表現に少し語弊があるのなら、こういう表現もアリかな。
「帰ってきたら、以前居たはずの場所が、全く違う場所に見える。私が知っているこの場所は、前に居た時はこんな雰囲気じゃなかった。もしかしてここは以前とは違う場所なのかな?」
最近特に感じている事がこれです。今までと同じ日常なのに、同じことをやっているのに、今までよりずっと心が軽く、充実しているように感じる。

私が今ここで終わらせたいのは、「ゲーム」と呼ばれるもの。
「ドラマ」という言い方の方が、馴染みのある人は多いのかな。

心理学用語としての「ゲーム」には駆け引きの要素がありまして、ネガティブな言動の応酬や交流を通してネガティブなエネルギー交換をして、「生きる糧」を得るという。。。。すごい適当な要約をしてしまいました、すみません。
でも、ネガティブな交流でもエネルギーはエネルギーなんですよ。低俗で下品な交流でも、いがみ合ったり殺し合うような関わり合い方でも、そんな手段でも人はエネルギーを得る事が出来、肉体が朽ちるまでは、それをやめようと思うまでは何とか生きていけるんです。「愛情の反対は憎悪ではない、無関心だよ」とよくいわれますが、愛情も憎悪も交わしてもらえない無関心な状態が「エネルギー枯渇」状態で、まさに人の心が死に瀕するような状態なのです。

とはいえ、どうせ交流するならもっとポジティブな交流の方がいいに決まっている。どうせ生きるならネガティブな交流は断捨離して、もっとポジティブな交流ができる人と、心地よい交流環境の中で生きたい。
とにかく、他人のゲームに巻き込まれないようにしないとな。もう面倒くさい所には首を突っ込まない。関わらないようにしよう、というのが私の今の気持ち。

じゃあどうして、私は今更のように首を突っ込む羽目になったのか。
あの人も言っていた。「もう何年も前の事を今更ほじくり返されるとは思わなかったわ」と。

間違った内観法は、エゴを肥大させてしまうな。
いや、違う。間違ったのではない。
私は内観をしていたのだ。ただ自分の内側に向けて、他人など関係ない所へと。でも顕在意識が気づかないうちに、自分でも知らないうちに、自分の内面から逃げてしまっていたのだ。自分の魂が持っているもの(良いものも悪いものも含めて)に向き合う自信が無くて。だから意識が自分の存在の外へ、第三者が沢山いる集合無意識へ向いてしまっていた。
しかし、私はここで自分の「弱点」を見つけたのです。気づいたのです。
潜在意識に潜んでいた自分の闇といいますか、悪習慣といいますか。そんな部分。

正直言うと、すげースッキリした。

自分の執念深さに恐れ入るわ。

外側に気になる事があると、自分自身に真剣に向き合えない。でも、

私ね、自分はこんな怨念も持ち合わせているよ、という事実を、つい最近ようやく受け入れられたのです。

自分の中に在る「怨み」の念にやっと気づいて、それを認識出来たら、スッと楽になったんです。
認識しただけです。そこに「怨み」があるのだ、という事を認めただけで、取り除こうとはしなかった。でも楽なんですよ。

今まで、「怨み」を持っていた事すら気づいてませんでしたからね。「俺に気づいてくれよ」と「怨み」の方がずっと私にアピールしていたような気がする。だから気づくまで同じような感情パターンを繰り返していたのかな、と。
まず顕在意識で気づけないと、その感情はコントロールする事は出来ない。完全にコントロール圏外になった「怨み」とか恐ろしすぎませんか。

これからはね、自分で自在に怨みを表現して、適度に発散もする事が出来るのです。

自分の闇を、無意識層に押し隠しておく必要なんてない。

闇は誰もが持っているもの。誰も否定できないもの。
それを、自分でも気づかないレベルまでひた隠しにしておくことは、「魔力」の暴走を黙認するに等しい。

この「怨み」の念を認識した後、私は怨みの元になった人物と、完全に決別する為の儀式をしました。もう永遠に関わらない、永遠に出会わないと宣言したのです。

その儀式を終えて数分後、ソラムにいきなり抱きつかれて「ありがとう、ありがとう、ありがとう!」とか捲し立てられたんですが何ですかアレは。そんなに嬉しかったですか。(爆)

その後、私は今まで相手に言えなかった雑言罵倒を、必要な時に、必要な分だけ、ハッキリと言葉に出来るようになっていた。
なんかねぇ。。また一つ自由になった気がする。
相手の悪口言えるようになって「自由になった」っていうのはなんか可笑しいと思いますけど。解放されたんですよ。

「同情する余地のないもの」をわざわざ同情する必要がなくなった。
だからようやく、今まで抑え込んでいた本音解禁、という感じなんですよ。

私はエネルギーの使い方間違ってたよね、と思う。
エネルギー分配を間違っていた。いや、
もうそんな所へエネルギーを注がなくていい。もうそんな所からエネルギーをもらわなくていいんだ。
私はもうそんなどん底には居ない。
本当に、もう何もしなくていい。

さようなら。
いままで怨まれてくれて、ありがとう。

って書いたら、私の中の悪魔がめっちゃ笑っているのだわ。いやらしく、馬鹿にしたように。(爆)

私の内なる神性に、確実にアンカーを繋げられたのは、その後だったか前だったか。。
しばらく調整が必要だったけど。調整というのは、普段の顕在意識はどんな状態で居るべきか、焦点の置き方、などの再認識をしたりとかね。
「外(他人)に頼ると差し支えるでしょう?」
といって、マリアさんが微笑んでいた。

と、記事をほぼ書き終えた頃、こんな声が聞こえてきた。

「また書こうとしてる。。止めなければ」
ソラム「何故だい?」
「またお前か。あんた本当は誰なのよ!」
ソラム「そういう君は誰だい? 〇〇〇なのかな?」
ソラムは、その人の過去生の名前を言ったのだけど、皮肉を言っているようにも聞こえた。
ソラム「彼女(日月)はこれで終わりにしようとしてるんだ。許してやってくれ」
「終わりにするならなんで書くのよ!書く必要ないでしょ?!」
ソラム「やましい事がなければ、恐れる必要などない筈だ」
この時のソラムの言葉は、その人の胸には深く刺さったらしい。
そのあと、その人が膝を抱えてぐずぐず泣いてる様子が伝わってきた。

しかし私の内面では、周囲が攻撃的になってると察知したのか、「悪魔」がちょっと騒ぎ始めていた。
『犯してやる!(←米国風の脅し文句)』
はいはい、ちょっと落ち着いて。
と私が言うと、「悪魔」は私の腰にしがみついて嬉しそうに擦り寄った。
『お前の言うことなんでも聞く』
「はいはい。じゃあ言うこと聞いてね」

しばらくすると、あの男の声も聞こえた。
(強いな。がんばれよ。さようなら。俺は俺の道を往く。)
『いいのかよ~このまま放っといて。また付け上がるんじゃねえのか?仕返ししようぜ』
「お前はもう黙ってろ!」
どうやら、彼は彼で、彼の「悪魔」と格闘しているようだな。なんて思ったが他人事なのでどうでもいいです。←

「ふん、気持ち悪い。そうやっていつまでもぐちゃぐちゃやってればいいのよ」
私の悪魔を垣間見たのか、またあの人の声が聞こえた。
続けて、あの男の声も聞こえてきた。
「あれを反映(投影)させられていたと思うと、ちょっとゾッとするな。。」
でも、少し間を置いて、男はもう一度呟いた。
「。。。人の事は言えないか」

その後しばらくすると、わんわん泣きじゃくる声が聞こえ始めて、延々と泣き続けてるんだけど誰だようるさいな(←)。と思っていると、
あの人が、先ほどの男の台詞を聞いてショックを受けたのか、文字通りおいおいと泣いていたのだった。
「やっぱり私が全部悪者にーーーーっ!!(大号泣)」
 
 
。。。もういい加減にして。(-_-;)

そのあと、
急に胸がガクガクして、手が震え始めた。
あの時もこんな感じだった。7年前、通院が終わった時だ。
一度経験したから知っている。これは、依存するものが無くなった時の反応だ。
だとしたら、これで本当に、サヨナラなんだ。
『マリア、助けてくれ、マリア』
と私を呼ぶのは悪魔の声か。
何を助けるんだか。。と思ったが、
後でご褒美あげるからね。といったら、少し落ち着いた。
『マリア、ありがとう。助けてくれてありがとう』
と言われて、なんか解ってきた。
この悪魔は、自分の弱さだ。依存心だ、これは。

あの時の私は、ラファエルに縋った。
でも今、私が縋るのは私。
 
 

あの人が、まだ泣いている様子だった。

男(。。しょうがねえな。。最後のフォローしてやるか。半分は俺の責任だからな。)

男「おい。もう諦めろ」
あの人「あんたのせいで。。」
男「ああ、俺が悪かったよ」
あの人「心にも無いことを。。」
男「俺はもう離れる。お前ももう俺無しで一人でやれ。じゃあな」
 
 

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これで、おしまい。